ケニア中部、首都ナイロビの北に広がるムランガ県。トレーラーに載せた1台の輸送コンテナが、決まった曜日に農村の公立保健施設へやって来ます。中には透析装置が4台。腎臓の働きを失った人の血液から老廃物と余分な水分を取り除く装置で、多くの患者は週に2回、1回4時間の治療を一生続けなければなりません。
この「動く透析室」をつくったのは、エンジニアではなく看護師です。ナオム・モナリさんが立ち上げた「レナル・ローズ(Renal Roads)」は、2026年、英国王立工学アカデミーが主催するアフリカ工学イノベーション賞の最終候補4組に選ばれました。病院の中にしかなかった装置を村まで運ぶ。その工夫の先には、技術だけでは解けない問いが待っていました。
往復140kmを、週に2回
腎臓が働かなくなった人にとって、透析は休めない治療です。ところがムランガ県の資料によれば、県内の農村部では100万人を超える住民に対し、透析装置はわずか4台でした。県の病院には何か月も続く順番待ちがあり、通院費と治療費は家族の月収の6割近くに達することがありました。診断を受けた人のうち35%が治療をやめていたとも記されています。
ケニアの現地紙は、26歳の母親が透析のために片道70kmを通っていたと伝えています。その人は、移動透析室が家の近くに来たことを「祈りが通じた」と表現したと報じられました。賞の主催者は、患者がかつて片道200kmもの移動を週2回強いられ、仕事や家族の世話のために治療を休むことがあったと紹介しています。透析を休むことは、命に関わります。
病院の装置を、壊さずに運ぶ
モナリさんは2017年、在宅看護の会社を立ち上げました。新型コロナの流行後、透析を必要とする人が増えていることに気づき、2022年から1年間、地元の大学と需要を調べました。この調査はカナダの国際開発研究センターが支援しています。
こうして生まれたのが、長さ40フィート(約12m)のコンテナを改造した透析室です。透析装置そのものは市販品ですが、それを揺れる車両で安全に運べるよう固定し、病院の設備を丸ごと移動できる形にしたことが工夫の中心です。透析には大量のきれいな水が要るため、逆浸透膜で水を浄化する装置と排水の仕組みを組み込みました。電気は太陽光でまかない、予備の電源も備えて、電力網のない場所でも動かせます。感染を防ぐための壁と床、急変に備える場所も設けました。設計は実用新案で保護されています。
製作には、医用工学の技術者や統計の専門家、大学に加えて、「ジュア・カリ」と呼ばれる地元の職人たちが加わりました。ジュア・カリはスワヒリ語で「照りつける太陽」を意味し、路上や露天の作業場で金属加工などを手がける人々を指す言葉です。
運用は県との官民連携です。県の腎臓専門医が治療を監督し、研修を受けた看護師が透析を行います。移動透析室は毎週決まった順番で平均3か所の地域を回り、1日に最大12回の治療ができます。賞の主催者によれば、ムランガ県で導入した後の評価で、患者の移動距離は76.6%短くなりました。2026年時点で月に100人を超える人が利用し、透析の回数は約700回。2台目も配備できる状態です。治療費は公的保険から支払われ、患者の自己負担はありません。
なぜ、腎臓を失う人が増えているのか
ムランガ県の基幹病院で2024年1月から1年間に透析を始めた79人を調べた研究では、腎臓を悪くした原因は高血圧が48.1%、糖尿病が31.6%、慢性糸球体腎炎が20.3%でした。同じ研究では、1年以内に3人に1人が亡くなっていました。小規模な研究であり、著者自身も結果を探索的なものと位置づけています。
背景には、気づかれないまま進む病気があります。2015年の国の健康調査では、成人の4人に1人以上が高血圧でしたが、そのうち自分が高血圧だと知っていたのは約3割、薬を飲んでいたのは6.5%にすぎませんでした。肥満や過度の飲酒、糖尿病が高血圧と結びついていました。「生活習慣の病気」というより、測られず、治療されないまま腎臓が傷んでいく病気だと言えます。
2026年の論文によれば、国の装置リース事業によって、ケニアの公立病院の透析装置は約44台から全47県・305台に増えました。それでも人口100万人あたりの台数は県によって30倍以上の差があり、63%の病院では装置の稼働率が半分に届いていませんでした。職員の不足や消耗品の供給の不安定さが原因で、著者らは「インフラを広げるだけでは公平は実現しなかった」と結論づけています。いまケニアで透析を受けている人は約1万4,800人。人口あたりでは日本のおよそ10分の1で、必要な人の多くがまだ透析にたどり着けていないと考えられます。
200人の順番待ちと、支払う側の重さ
移動透析室にも限りがあります。運営側は、順番を待つ人が200人を超えていると公表しています。誰を先に受け入れるのか、その基準は、公開されている資料からは見つけられませんでした。透析の枠が足りない国では、それが命の順番になります。南アフリカでは、公立病院の医師の委員会が誰に透析を行うかを決め、断られる人が8割に達した時期があったと報じられています。決め方を誰が、どんな基準で担うのかは、装置を増やすのと同じくらい重い課題です。
もう一つの影は、患者の自己負担ゼロを支える公的保険です。2024年に始まった社会保健庁(SHA)の料金表では、血液透析は1回1万650シリング(約1万3,000円)、週3回までとされています。一方で、2026年の報道では、SHAが払うのは週2回分で、3回目は給付の見直しの対象になっていると伝えられました。ケニア腎臓学会などは、実際の費用は1回あたり約2万5,000シリングで、差額を払えない患者に回数を減らしたり、受け入れを断ったりする施設があると訴えています。
保険の財政も揺れています。地元紙の集計では、保険基金は1年目に集めた額の約1.6倍を支払いました。登録者は約3,000万人いますが、保険料を実際に納めているのは約500万人にとどまります。国の予算監査官の報告では、SHAが県の病院に支払っていない額は、2025年12月末の83億シリングから2026年3月末には269億シリングに膨らみました。透析の消耗品の価格も、通貨安や課税の影響で3年間に平均30%上がっています。政府は、自営業の人が保険料を少しずつ払える仕組みや、10万人の地域保健推進員による予防の強化を進めていますが、財政の先行きはまだ見通せません。
日本も通った道
日本は透析を受ける人が約34万7,000人(2022年末)にのぼり、置かれた状況はまったく違います。いまの日本の課題は装置の数ではなく、高齢化や災害時の透析の確保です。それでも、日本にもかつて、お金が命の順番を決めた時代がありました。人工腎臓が健康保険の対象になったのは1967年、障害者医療による公費負担が始まったのは1972年です。名古屋の透析病院の院長は、保険が使えるようになる前は医療費が膨大で、治療を受けられないまま尿毒症で亡くなった人が多くいたことを忘れてはならない、と書き残しています。
ケニアの人々がいま向き合っているのは、透析を「誰もが受けられる医療」にするための、その途中の道のりなのかもしれません。
祈りによせて
病院の中にあった装置を、看護師と町の職人たちが村まで運びました。片道何十kmの道のりが短くなり、休まずに治療を続けられる人が増えています。それは確かな前進です。けれど、順番を待つ200人の列は、装置だけでは短くなりません。治療を支えるお金をどう分かち合うのか、誰を先にするのかを誰が決めるのか。そして、気づかれないまま腎臓を傷めている人々の血圧を、村で測ることができるのか。
週に2回、4時間の治療を待つ人々が、住む場所や財布の中身にかかわらず、その時間を受け取れる日が来ますように。そして、村まで透析室を運んだ人々の工夫が、腎臓を失う前に病気に気づける社会へとつながっていきますように。
ケニアの人々のために祈りを捧げる方は、こちらのページへどうぞ。
→ ケニアのために祈る | 祈りのワールドツアー
ケニアが平和でありますように
参考・引用元
- Royal Academy of Engineering「Africa Prize 2026 cohort: Naom Monari」(賞の主催者による紹介):africaprize.raeng.org.uk
- Royal Academy of Engineering「Four finalists unveiled for the 2026 Africa Prize for Engineering Innovation」(2026年9月・報道発表):einpresswire.com
- The Star「Joy as nurse converts lorry, container into a mobile dialysis unit」(2026年3月・現地紙):the-star.co.ke
- Council of Governors「Taking Kidney Care to the People: How Murang'a County's Mobile Dialysis Truck is tackling a Silent Epidemic」(2025年・県政府の事例集):maarifa.cog.go.ke
- 「Predictors of one-year mortality in hemodialysis patients with end-stage renal disease at a Kenyan county hospital」World Journal of Nephrology(2026年・査読論文):pmc.ncbi.nlm.nih.gov
- 「Transforming hemodialysis access in Kenya: a national assessment of the Managed Equipment Services model」BMC Health Services Research(2026年7月・査読論文):link.springer.com
- 「Prevalence, awareness, treatment and control of hypertension among adults in Kenya」Eastern Mediterranean Health Journal(2020年・WHO地域事務局の査読誌):emro.who.int
- 「Prevalence, awareness, treatment and control of hypertension and their determinants: results from a national survey in Kenya」BMC Public Health(2018年・査読論文):link.springer.com
- ケニア保健省「Tariffs to the Benefit Package under the Social Health Insurance Act No. 16 of 2023」(政府文書):health.go.ke
- Nation「The highs, lows and hard truths of Kenya's new health cover」(2026年・現地紙):nation.africa
- Nation「Counties grapple with Sh27bn SHA debt」(2026年6月・現地紙):nation.africa
- People Daily「Kidney patients' dangerous SHA reality」(2025年7月・現地紙):peopledaily.digital
- The Standard「SHA enrollment hits 32.2 million but only 5 million pay premiums」(2026年8月・現地紙):standardmedia.co.ke
- Business Daily「Pain as dialysis consumables prices up by 30 percent」(2026年4月・現地経済紙):businessdailyafrica.com
- Association of Health Care Journalists「How South Africa rations dialysis」(2011年・ProPublicaの報道の紹介):healthjournalism.org
- 全国腎臓病協議会「全腎協ニューズレター」(2024年2月):zjk.or.jp
- 新生会第一病院「けんこう百花」89号(2018年1月・病院の広報誌):hospy.or.jp
関連ページ
- 道なき谷を、数分で ― ネパールの女性たちが挑む結核との闘い:prayers-for-world-peace.net
- パキスタンの遠隔医療「Sehat Kahani」― 家庭にいた7万人の女性医師と、開かれた小さな窓:prayers-for-world-peace.net
- 韓国・山清の医療福祉協同組合 ― 隣人が血圧を測り、法律はあとから届いた:prayers-for-world-peace.net
- 「もう、勝てない闘いかもしれない」― ケニア沿岸の女性たちが見つけた、もうひとつの生きる道:prayers-for-world-peace.net