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レバノンの共同体保全地「ヒマ」― 犬の吠え声で囲った土地が、村の守る自然になるまで

2026年1月26日、レバノン東部ベカー高原の西端にあるバアルール村で、村議会が一つの決議を全会一致で採択しました。村の共有地を「ヒマ」とし、自分たちの手で守る、という決定です。人口およそ500人の農村で、眼下にはレバノンの水がめであるカラウン湖と、国内最長のリタニ川の上流域が広がっています。

そのおよそ5週間後、3月2日にレバノンは再び戦争に巻き込まれました。この記事は、ヒマという仕組みがどこから来て、何度消えかけ、いまどこで生き延びているのかをたどるものです。

朝もやの中、石垣で区切られた緑の段々の丘が、青い湖へとゆるやかに下っていく風景。手前には野の花が咲いている。レバノン東部ベカー高原西部をイメージした生成画像。
ベカー高原西部の丘と湖をイメージした画像(Adobe Fireflyで生成)
村の共有地と水源を守る「ヒマ」の風景をイメージした画像(Adobe Fireflyで生成)

犬の吠え声が届く範囲 ― ヒマの始まり

ヒマ(hima)はアラビア語で「守られた場所」を意味します。アラビア半島で7世紀より前から続く、牧草地や森の利用を制限する制度です。

ただし、その出発点は「自然保護」ではありませんでした。干ばつから自分の家畜を守るため、有力な遊牧の首長たちが豊かな牧草地と水場の利用権を独り占めにしたのが始まりとされ、民衆からは抑圧の道具とみなされていたとも記録されています。

よく知られた逸話があります。首長クライブは、自分の犬の吠え声が届く範囲を自分のヒマと定めました。そこへ迷い込んだよその雌ラクダを矢で射たため、報復として義兄弟に殺されます。これが40年続いたとされるバスース戦争の発端になったと伝えられています。ヒマは、もともと争いの火種でもあったのです。

囲い込みから「みんなのもの」へ ― ルールの書き換え

7世紀、アラビア半島に新しい統治の仕組みが生まれると、ヒマのルールは書き換えられました。個人が勝手に土地を囲い込むことは否定され、ヒマとして認められるには、公共の利益のためであること、地元の人々に過度の負担を強いるほど広くなく、暮らしに欠かせない資源を奪わないこと、社会にとって害より実益が大きいこと、といった条件が課されるようになりました。

当時の統治者ウマルが、ヒマの管理人に与えたとされる指示が残っています。家畜に頼って暮らす貧しい者は入れよ。裕福な者の家畜は追い返せ。彼らは家畜を失っても畑に戻れるが、貧しい者は家畜を失えば生きる手立てがなくなる――という趣旨のものです。

強い者の道具だった囲い込みが、弱い者の暮らしを守る仕組みに変わりました。ヒマには、放牧を禁じて決まった時期だけ草刈りを許すもの、花の季節には閉じて養蜂のために使うもの、砂丘の移動を止めるために木を守るものなど、いくつもの型が生まれました。歴史家のルトファッラー・ガリは、伝統的なヒマのいくつかはアラビア半島で最もよく管理された放牧地になったと書いています。

国家にのみこまれて ― 20世紀の衰退

千年以上続いたこの仕組みを弱らせたのは、近代国家の制度でした。サウジアラビアでは1954年の勅令で農村の土地が国の管理下に置かれ、ヒマは公有地になりました。代わりの保全制度はすぐには整わず、その空白の時期に過放牧と伐採で植生が大きく損なわれたとされます。1950年代に推定約3,000あったヒマは、2003年の政府報告では、地域社会が管理するものは数十にまで減っていました。シリアでも1958年の法律で部族による土地管理が廃止され、ヒマによる規律は事実上終わりました。

ガリは2006年の論文で、ヒマを復活させるには改変が必要だと指摘しています。いまの住民は単一の部族ではなく多様な人々の集まりであり、首長や部族評議会に代わる、新しい形の担い手が要る、というのです。

部族長の代わりに、村議会が ― レバノンでの再生

その「新しい担い手」を見つけたのがレバノンでした。1980年代に設立された同国で最も古い環境NGOの一つ、レバノン自然保護協会(SPNL)は、国が管理する保護区づくりに約20年関わったのち、2004年に南部のエベル・エッサキ村でヒマの再生を始めました。

決めるのは、自治体議会です。議会がヒマを決議し、境界と土地利用を地図にし、住民を含む委員会をつくり、管理計画を定め、地元の若者を「ヒマの守り手」として育てる。この順番が手引きとして整えられています。2019年には保護区法(法律第130号)でヒマが自然保護区や自然公園と並ぶ保護地域の一つとして位置づけられ、2025年には環境省の承認を経て27か所が国連の世界保護地域データベースに登録されました。SPNLによれば、2026年8月時点でヒマを決議した自治体は63にのぼります。

冒頭のバアルール村のヒマには、水を守る役割があります。リタニ川とカラウン湖は何十年も汚染と無秩序な利用に苦しんできました。ヒマは、斜面から湖へ続く土地への開発の侵入や汚染源を食い止める緩衝帯になる、と村とSPNLは説明しています。村長のイブラヒム・ダルウィーシュさんら議会は、この決議を単なる行政手続きではなく、自然と水と野生の生きものを次の世代のために守るという約束だと位置づけました。

なお、この取り組みは、2022年から2025年まで続いたEUの「バイオコネクト」事業や、スイス開発協力庁などの国際的な資金に支えられてきました。上に挙げた件数や成果の多くはSPNL自身の発表によるもので、各ヒマで生態系がどれだけ回復したかを第三者が評価した資料は見つかっていません。

海辺のヒマが失われた

南部の海沿いにある二つの村、カライレとマンスーリは、最も早くヒマを宣言した場所の一つでした。SPNLの担当者によれば、ここでは二つの村の自治体、女性たちの会、地元の漁師グループが中心となって、ダイナマイトや毒を使う漁をやめさせ、砂浜や砂丘への開発の侵入を止めてきました。浜では毎年平均58巣ほどの絶滅危惧種のウミガメの巣が見守られてきたといいます。

同じ担当者は2026年4月、その仕組みが崩壊したと書いています。ヒマを支えてきた住民は避難民となり、漁師の多くは船を失いました。

マンスーリの浜でウミガメを守る運動を始めたのが、モナ・ハリールさんです。約25年前、浜で産卵するウミガメに出会ったことをきっかけに、海外の保護団体から学び、巣の見守りとデータの記録を始めました。米公共ラジオNPRによれば、海岸の私有化や建設に反対し続けたその活動が、営巣地を公認の共同体保全地にすることにつながったと、活動を共にした人は語っています。

2026年6月上旬、浜辺の自宅がイスラエル軍の空爆を受け、ハリールさんは重傷を負い、6月19日に亡くなりました。76歳でした。イスラエル軍はNPRの問い合わせに対し、家屋を攻撃した形跡はないとしたうえで記録を確認中だと答えています。NPRが伝えたレバノン保健省の発表では、3月2日の開戦以降、4,000人以上が亡くなっています。ウミガメの活動は、元ボランティアのファディア・ジュマアさんが引き継いでいます。

ベカー高原西部も無関係ではありません。4月には、カラウン村と湖岸の自治体連合が、南部から逃れてきた人々の流入でゴミ処理や上下水道が対応能力を超えたとして、燃料や作業員の賃金への支援を訴えました。連合の代表は、SPNLとともに15のヒマを設けてきたと述べ、SPNLは、ヒマのネットワークを生かして植林や土地の回復で仕事を生む支援を提案しています。

それでも、続いている

それでも活動は止まっていません。8月末には、国際NGOテール・デ・ゾムと協力して、ベイスール村とラス・エル・マトゥン村のヒマで子どもたちが野外で学ぶ日が開かれました。同じ時期、SPNLは地域が自らヒマを立ち上げるための手引書を公開し、9月にはケニアで開かれた国際会議で、ヒマを地域どうしの関係を結び直す道として紹介しています。南の浜で一つのヒマが失われているあいだにも、別の村ではヒマで子どもたちが学んでいるのです。

日本の入会地と重ねてみる

日本にも、村の人々が山や草地を共同で使い、その使い方を自分たちで決めてきた仕組みがあります。入会(いりあい)です。先に条件の違いを書いておくと、日本はいま戦争の中にはありません。また、日本の入会は江戸時代から途切れずに続いてきたもので、NGOが外から再生したレバノンのヒマとは成り立ちが異なります。

それでも、たどってきた道には似たところがあります。明治初期の地租改正にともなう官民有区分では、多くの山林原野が国のもの(官有地)に編入されました。その割合は地域で大きく異なり、東北や中部で高く、山形県では74.8%にのぼったという研究があります。1966年には入会林野近代化法が制定され、入会の権利を個人の権利として整理する方向が示されました。国家による吸収と「近代化」という点で、20世紀のヒマと重なる流れです。

一方で、戻ってきた例もあります。山梨県では、明治末期に大水害が相次ぎ、1907年の水害だけで233人が亡くなりました。1911年、県内の皇室の山林(御料地)約16万4千ヘクタールが県の復興のために山梨県に下賜され、「恩賜林」と呼ばれるようになります。1949年に定められた県の条例では、この森を守る責任を地元の市町村が負い、防火や盗伐の防止、見回り役の配置などを担う一方で、集落どうしの利用の配分は従来の入会の慣行によると定めました。一度は国のものになった山で、村の使い方と守り方が制度の中に戻されたのです。

2009年にノーベル経済学賞を受けた政治学者エリノア・オストロムは、共有の資源は利用者自身が長く管理できることを示しました。その主著『コモンズのガバナンス』で取り上げた事例の一つが、富士山麓の入会地です。また、日本の環境省と国連大学が提唱した「SATOYAMAイニシアティブ」の事例集には、日本の自然環境研究センターが、サウジアラビアのヒマを伝統的な共有の仕組みとして記録しています。

レバノンのヒマから日本が学ぶべきことを並べるつもりはありません。ただ、二つの仕組みに共通するのは、手法そのものより「決め方」です。誰がその土地を使い、誰が守る責任を負い、それを誰が決めるのか。ヒマも入会も、その答えを土地に暮らす人々の側に置いてきました。

祈りによせて

ヒマは、強い者が犬の吠え声で土地を囲い込んだところから始まりました。それが、貧しい者の家畜を先に入れよ、というルールに書き換えられ、千年以上続きました。国家にのみこまれて消えかけ、村議会という新しい担い手を得て、レバノンでよみがえりました。そしていま、その一部が戦火で失われています。

爆撃は建物や船を壊しても、漁師たちが守ってきた漁のルールや、ウミガメの巣を見守る技術までは壊せません。ハリールさんの浜の仕事には引き継ぐ人がいます。バアルール村の決議は、戦争の前に、自分たちで下したものです。壊されても戻ってきたこの仕組みの歴史が、もう一度くり返されることを願います。

海辺のヒマが失われた村の人々が、再び浜に戻れる日が来ますように。そして、レバノンのすべての人々に平和が訪れますように。

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Lebanon

レバノンが平和でありますように

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参考・引用元

  • SPNL(実施団体の自媒体)「Lebanon Welcomes Its 44th Hima: Baaloul Takes a Stand for Water, Nature, and Future Generations」(2026年1月27日):spnl.org
  • SPNL(実施団体の自媒体)「Qolalieh and Al Mansouri: From Living Himas to Silent Ruins」(2026年4月11日):spnl.org
  • SPNL(実施団体の自媒体)西ベカー自治体の支援要請 (2026年4月8日):spnl.org
  • SPNL(実施団体の自媒体)事務局長コラム「From “What Is a Hima?” to “How Do We Begin?”」(2026年8月31日):spnl.org
  • SPNL(実施団体の自媒体)ヒマ関連記事一覧:spnl.org
  • NPR(WUNC転載)「Leading Lebanese conservationist dies after an Israeli airstrike on her home」(2026年6月21日):wunc.org
  • Lutfallah Gari「A History of the Himā Conservation System」Environment and History 12(2) (2006年・査読論文):environmentandsociety.org
  • SATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ 事例集「Saudi Arabia: Grazing and Oasis Agriculture along the Northern Coastal Region of the Red Sea」(2012年):satoyamainitiative.org
  • SATOYAMAイニシアティブ リーフレット(環境省・国連大学):satoyamainitiative.org
  • 林野庁「入会林野整備事業」:rinya.maff.go.jp
  • 江渕武彦「東北山村における村有地入会権訴訟と当事者適格」島大法学(官民有区分の地域差):ir.lib.shimane-u.ac.jp
  • 山梨県「県有林について」:pref.yamanashi.jp
  • 山梨県 広報資料「恩賜林の歴史」(明治40年水害・御下賜面積):pref.yamanashi.jp
  • 山梨県恩賜県有財産管理条例(1949年):pref.yamanashi.jp
  • 東京大学 書評「オストロム『コモンズのガバナンス』」:u-tokyo.ac.jp

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