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モロッコのダリジャ音声AI ― 9割が話すのに書かれない言葉を、機械が聞き取るまで

モロッコの人々が家庭や市場で話している言葉は、ダリジャと呼ばれるモロッコの口語アラビア語です。現地の経済紙が伝える高等計画委員会の数字では、国民の91.9%、3,000万人以上がダリジャを話します。けれども、役所の書類も学校の教科書も、ダリジャでは書かれていません。

2026年9月29日、モロッコのデジタル移行・行政改革省は、ダリジャの話し言葉を聞き取って文字にするAIを、誰でも使えるオープンソースとして公開しました。この記事は、そこに至るまでに誰が手を動かしてきたのか、そしてこの技術が、まだ誰に届いていないのかをたどります。

午後のやわらかな光が差すモロッコの土壁の路地で、年配の人の手がスマートフォンを口元に近づけ、そこから音の波を表す光の線が立ちのぼっている。遠くにアトラス山脈の稜線が見える。ダリジャの音声AIをイメージした生成画像。
自分の言葉のまま話しかける ― ダリジャの音声AIをイメージした画像(Adobe Fireflyで生成)

みんなが話すのに、書かれない言葉

アラビア語には、ニュースや公文書で使う共通の書き言葉(正則アラビア語)と、地域ごとの話し言葉があります。ダリジャはその話し言葉の一つで、会話の中にフランス語や英語が自然に混ざります。書き方の決まり(正書法)も定まっていません。

一方、行政や教育は正則アラビア語とフランス語で動いてきました。2024年の国勢調査によれば、モロッコの10歳以上で読み書きができない人の割合は24.8%です。10年前の32.2%からは下がりましたが、農村では38%、女性では32.4%、50歳以上では51%にのぼります。書かれた言葉で用意された手続きの前で立ち止まる人が、いまも少なくありません。

AIの普及も、この壁を自然には越えませんでした。現地の経済紙は2025年6月、大手の対話型AIにダリジャで話しかけると、英語で返事をしたり、意味の崩れた訳を返したりすることを確かめています。大手の研究所にとって、ダリジャは学習の優先順位が低い言葉だった、と同紙は指摘しています。

先に手を動かした人たち

政府より先に動いたのは、民間の研究者や開発者でした。モロッコの「アトラスIA(AtlasIA)」は、モロッコに根ざしたAIをつくる非営利のコミュニティ型の団体を名乗り、2024年からダリジャと英語を訳すモデルを無償で公開してきました。

2024年9月には、モロッコのモハメッド6世ポリテクニック大学(UM6P)の工学部門やアトラスIAなど5機関の研究者12人が、ダリジャで会話するAI「アトラス・チャット」を公開しました。チームの一人、ユーセフ・フーブラーヌさんは、目標は技術の開発だけでなく、インターネットの上にダリジャの居場所をつくることであり、言葉は文化やアイデンティティと結びついている、という趣旨を現地誌に語っています。このAIは自分の手元のパソコンで動かせるため、話した内容を外部のサーバーに送らずに使えます。

2026年には、アトラスIAが音声を聞き取るモデル「ムルソット(MoulSot)」を公開しました。ダリジャの会話音声およそ1,500時間を集め、そのうち80時間は人の手で丁寧に書き起こしたものです。ダリジャにフランス語や英語が混ざる話し方も学習しています。モデルも学習データも、商用でも自由に使える条件で公開されています。

「聞き取れない」から生まれていた回り道

ダリジャを聞き取る技術がなかったころ、何が起きていたのか。2025年10月に発表された、モロッコの国立郵便通信研究所(INPT)と地元企業の研究者による論文が、その様子をよく伝えています。

研究チームは、税金の手続きを案内するダリジャ対応の相談窓口AIを試作しました。ところが、音声入力にはダリジャ専用の聞き取りの仕組みがなかったため、ダリジャの音声を正則アラビア語として文字にするしかありませんでした。AIからの返事も、合成音声ではダリジャを話せないので、あらかじめ人が録音した音声を流す方式でした。それでも、用意した500組の質問と答えをもとにした試験では、ダリジャの質問に対して最初の候補で正しい答えを返せた割合が70%、上位3つの候補までに入った割合が90%でした。論文は、実際の利用者による評価はこれからだとしています。

聞き取りの部分が欠けているために、作り手が回り道をしていた。今回公開された技術が埋めようとしているのは、まさにこの穴です。

政府が公開した二つの道具

9月に公開されたのは、二つの道具です。一つは、話された言葉がどのアラビア語の方言かを見分ける分類の仕組み。もう一つは、フランスのAI企業ミストラルの音声技術「ボクストラル(Voxtral)」をもとにした、ダリジャの音声を文字にする仕組みです。アラビア語、フランス語、英語が一つの文の中で入り混じる話し方にも対応するとされています。

省は、行政機関、スタートアップ、研究者、開発者が、これを土台に人々の日常の話し方に合ったサービスをつくれるようになると説明しています。デジタル移行相のアマル・エル・ファラー・セグルーシュニ氏は2026年2月、米メディアのインタビューで、良い道具とはその人の言葉を話すものだという考えを示し、画面の操作に慣れない市民のためにAIの相談窓口を広げていくと語りました。省はこの公開を「最初の一歩」と位置づけ、いずれは国内のほかの言語も扱うとしています。

窓口が、ダリジャで話し始める

この技術がいちばん大きな意味を持ちそうなのは、暮らしの手続きの窓口です。生活が苦しい世帯に現金を給付する国家社会支援庁は、ダリジャで、文字でも音声でも質問できるAIの相談窓口を、エル・ジャディーダ県で試験運用しています。いずれは多くの人が日常的に使うメッセージアプリWhatsAppにも組み込む予定です。同庁は、デジタルの窓口と並行して、地域に出向くソーシャルワーカーを増やす方針も示しています。機械に置き換えるのではなく、人の支援と組み合わせる設計です。

農業でも動きがあります。工学部の学生4人が立ち上げた「AGRIDIA」は、作物の育て方や急な病害への対処をダリジャの音声で答えるアシスタントを開発しています。創業者の一人は、読み書きに苦労している農家のためにつくった、と現地メディアに説明しています。

まだ届いていない声と、残る課題

ただし、こうした仕組みで実際に助けられた人の声は、まだ報じられていません。給付窓口のAIは2026年6月の時点で試験運用の段階にあり、政府が公開した聞き取りのモデルも、どれほど正確に聞き取れるのかを示す数値は公表されていません。アトラスIAのムルソットは、単語の誤り率が約39%と自ら公表しています。10語のうち4語前後を取り違える水準で、人の確認なしに重要な判断に使わないよう、開発者自身が注意を促しています。

AIそのものから距離を置いている人も多くいます。カサブランカの市場調査会社が2025年12月に発表した調査では、情報を調べるときにAIを使っていない人が52%で、35歳以上では69%、農村では64%がAIを避けていました。話し言葉に対応したAIが、ここで止まっている人にどこまで届くのかは、これからの検証になります。

もう一つの課題は、アマジグ語です。北アフリカの先住の人々の言葉で、2011年の憲法でアラビア語と並ぶ公用語になりました。2026年1月に政府がミストラルとの提携を発表したときは、ダリジャとアマジグ語の両方を扱うとしていましたが、9月に公開されたのはダリジャの道具だけでした。アマジグ語を話す人の割合は、国勢調査の方法をめぐってアマジグ系の団体が抗議を続けているほどで、正確にはわかっていません。方言の壁が下がるとき、ダリジャを話さない人の前の壁が、相対的に高く残らないか。省が掲げる「いずれ国内のほかの言語も」という約束が、どこまで果たされるかが問われます。

人々が話す言葉に、制度の側が近づいていくという方向は、日本で災害時の情報を「やさしい日本語」で届けようとしてきた取り組みとも重なります。どちらも、変わるべきなのは話し手ではなく、情報を出す側だという考え方です。

祈りによせて

何千万人もの人が毎日話している言葉が、書類の上では存在しない。モロッコで長く続いてきたこのずれを、まず埋めようとしたのは、自分たちの言葉をインターネットの上に残したいと考えた研究者や開発者たちでした。誰でも使える形で道具を公開し、あとから国が続きました。

給付の窓口で、農家の畑で、読み書きに自信のない人が自分の言葉のまま質問し、答えを受け取れる日が近づいています。その声が記事になる日を待ちたいと思います。そして、ダリジャだけでなく、アマジグ語を話す人々の言葉にも、同じように機械が耳を傾ける日が来ますように。

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モロッコが平和でありますように

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参考・引用元

  • Morocco World News「Morocco, Mistral AI Release First Open-Source Darija AI Tools」(2026年9月29日):moroccoworldnews.com
  • Le360(Finances News Hebdoの転載)「IA: le Maroc et Mistral dévoilent leurs premiers outils souverains adaptés à la darija」(2026年9月30日):le360.ma
  • Morocco World News「Morocco Moves Toward Local AI With Darija, Amazigh Language Models」(2026年1月12日):moroccoworldnews.com
  • Rest of World「Morocco wants to build AI that speaks for Africa」(2026年2月10日):restofworld.org
  • Finances News Hebdo「Intelligence artificielle : la darija en quête de reconnaissance numérique」(2025年6月2日):fnh.ma
  • Morocco World News「Morocco's Illiteracy Rate Stands at 24.8% in 2024」(2024年12月23日):moroccoworldnews.com
  • TelQuel「Atlas-Chat, the AI that speaks Darija」(2024年12月12日):telquel.ma
  • Middle East AI News「AtlasIA releases smarter, faster Moroccan darija AI models」(2025年3月17日):middleeastainews.com
  • Hugging Face「MoulSot v0.3」(実施団体の自媒体・開発者による自己申告値):huggingface.co
  • Ennasri, El Bhiri, Ben Maissa「Moroccan Institutional Chatbots: A Hybrid Approach with LLMs, Semantic Matching, and Dialect Adaptation for DARIJA」Engineering Proceedings 112, 41 (2025年10月20日・会議論文):doi.org
  • Hespress FR「L'ANSS mise sur la proximité et le numérique pour renforcer les aides sociales d'ici 2028」(2026年6月12日):fr.hespress.com
  • Hespress(アラビア語)農業分野のAIスタートアップ (2026年4月10日):hespress.com
  • Barlaman Today「44% of Moroccans Use ChatGPT, But Majority Still Avoid AI Tools, Survey Shows」(2025年12月9日):barlamantoday.com
  • Morocco World News「Where is Tamazight in Morocco's 2024 Census?」(2024年9月14日):moroccoworldnews.com

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