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イエメン・タイズの村人が自ら舗装する道 ― 64セントの寄付から、ミニバスが村に届くまで

2026年10月18日

イエメン南西部のタイズ県。県都タイズから約70km離れたラゲム(ラージム)村と周りの集落に、約7,600人が暮らしています。村々とラゲムの市場を結ぶ道は舗装されておらず、大型の四輪駆動車でなければ通れません。ミニバスの運転手は乗り入れを断り、四駆を雇えばバス運賃の3倍以上かかります。そのため多くの人が、市場まで6kmの道を歩いて往復しています。

住民のアブドゥッラー・アル=アザーズィーさん(31歳)は、いつもの倍の運賃を払うと言っても断られ、来てくれるのは自分たちの苦労を知る村出身の運転手だけだと話したと報じられています。働きに出る人も学校に通う子どもも、毎日歩くか、大金を払って車に乗るかを選ばなければなりません。運べないのは人だけではありません。水を含む生活物資も、この道を通って村に届きます。

イエメン・タイズ県の山あいで、石積みの段々畑の間を村へ続く未舗装の道と、新しくコンクリートを流した一区間を描いたイラスト
タイズ県の村では、住民の寄付と労働で道が少しずつ舗装されている(イメージ・Adobe Fireflyで生成)

若者たちが流すコンクリート

道路を管轄するタイズの当局は、舗装する資金がないと答えました。人道支援団体にも助けを求めましたが、応じてもらえませんでした。そこで3年前、村の若者たちが自分たちで道を舗装しはじめました。資金は、住民と近くの市場の商人からの寄付です。

2か月前からこの取り組みのまとめ役を務めるアフマド・フアードさん(26歳)は、住民と一緒にWhatsAppのグループをつくり、誰がいくら出したかを記録しています。寄付は1,000イエメン・リヤル(約0.64ドル)から始まり、勢いがつくと1回100万リヤル(約640ドル)の寄付も届くようになった、とフアードさんは話したと報じられています。お金を出せない人は労働を出します。そのおかげで、人件費は大きく抑えられています。

舗装は、最も危険な区間から順に進められてきました。この2か月足らずで124m以上を広げて舗装し、コンクリートが固まりしだい開通させて次の区間へ移る段取りです。フアードさんによると、ミニバスが実際に村まで来るようになったのを見て、皆に希望が湧き、寄付がさらに集まったといいます。それでも、急な斜面が約500m残っています。フアードさんは、村の若者だけで市場まで舗装しきれると自信を見せつつ、政府や支援団体の助けがあればずっと楽になるとも話しています。

道が運ぶもの、井戸が変えたもの

国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、イエメンでは1,440万人が、水と衛生の基本的な支援を必要としています。舗装されていない道では、遠くの村まで水を運ぶのが難しく、人が歩いて水を取りに行くしかありません。

タイズ県ジャバル・ハブシー地区にあるアル=ラハバ避難民キャンプには、200を超える家族が暮らしています。かつて女性と子どもたちは、片道3kmの道を重いポリタンクを抱えて往復していました。一度に持ち帰れる20リットルでは、一家の1日分にもなりません。朝早く出て、昼にもう一度、日が沈む前に3度目——水くみに一日の大半が費やされていた、とキャンプの住民アブドゥルアズィーズ・シャムサーンさん(44歳)は振り返ったと報じられています。シャムサーンさんは何か月も地元行政や国際支援団体に助けを求めましたが、返事はありませんでした。

転機は、タイズ市の教師で、SNSで発信を続けるムハンマド・マフユーブさんの訪問でした。マフユーブさんは2年半ほど前、ある村で、3つの村の数百人が一つの露天の井戸を囲み、バケツを下ろしている光景を目にしました。その様子をFacebookに投稿すると、友人やフォロワーから予想を超える支援が集まったといいます。キャンプでは、マフユーブさんが訪れた翌日に技術者を連れて戻り、井戸を掘りました。太陽光ポンプと貯水タンク、配水の蛇口までそろえた井戸は、いまでは避難民と近隣の約300世帯に水を届けています。マフユーブさんは、少額寄付でタイズ県の遠隔地3地区に手掘りの井戸20本を設けたとされています。西部のホデイダ県でも、別の活動家が掘り抜き井戸を掘るなど、同じような取り組みが各地に広がっていると報じられています。

住民が道を造る動きは、ラゲム村だけのものではありません。同じジャバル・ハブシー地区では2024年、住民が「死の道」と呼ぶ峠道の舗装が、結婚式の席での話し合いをきっかけに寄付で始まりました。2025年には、7つの村をつなぐ3〜4kmの道づくりが、住民の資金と石材、農地の無償提供、そして手作業で進められていると、イエメンの農村専門メディアが伝えています。病人を担架に乗せて1〜2時間運ばなければならない——そう語る学校長の声も記録されています。

タイズは「自分たちで」が生まれた土地

タイズで住民が道を造るのは、いまに始まったことではありません。イエメンの農村には、畑仕事を互いに手伝う慣行や、共同の積立で暮らしを支え合う仕組みが古くからありました。1962年の革命のあと、タイズ地方ではこの助け合いが急速に形を変え、出稼ぎから帰った人々の資金で開発事業が次々と生まれたと、社会学の研究者で市民社会活動家のアフマド・アル=ハルビー氏は記しています。

当時の北イエメン(イエメン・アラブ共和国)では、1963年の共和国令が、地域の団体に基本的なインフラを担わせる道を開きました。翌1964年には、米国での長い滞在から戻ったタイズ出身のアフマド・アブドゥ・サイード氏が、英米の例にならった「自助」運動を始め、最初の開発委員会がタイズで生まれます。委員会は教育、保健、給水、道路づくりを担い、近隣の地域へ広がっていきました。1973年には各地の28団体の代表が全国連合を結成し、1978年末には191団体にまで増えています。

世界銀行が1981年にまとめた報告書には、その規模が記録されています。村や郡の住民が選挙で総会を選び、総会が5〜7人の理事会を3年の任期で選ぶ仕組みでした。財源には、喜捨税ザカートの純収入の75%(1979年に50%から引き上げ)と関税の2.5%が充てられていました。1977〜78年度の2年間に、これらの団体は支線道路6,520km、給水事業643件、学校347校、診療所30か所を手がけています。事業費のおよそ7割は、恩恵を受ける農村の住民自身が負担していました。その総額は、同じ時期の政府の開発支出の約3割に相当します。

しかし、この勢いは長く続きませんでした。1975年の法律は団体に新たな財源を与える一方で、政府による管理も認めました。1978年に地方自治体をつくる法律ができると、1980年代の初めにかけて、団体は国に取り込まれていったとアル=ハルビー氏は書いています。それでも「自分たちで」は消えませんでした。1990年代に国際機関が住民参加型の開発を後押しすると、地域の民間団体は1990年代初めの約100から、2005年には5,000を超えるまでに増えています。英エクセター大学の研究員ヘレン・ラックナー氏は、こうした農村の団体を1960年代の地域開発団体を受け継ぐ存在と位置づけています。ラゲム村の若者たちがこの歴史を意識しているかどうかは、報じられていません。ただ、WhatsAppの寄付記録は、半世紀前と同じ土地で、同じ問いに住民が出した答えのように見えます。

住民の力が、行政の不在を埋めるとき

この話を、自助の美談だけで終えることはできません。タイズ県知事室の職員は、限られた予算と都市部の優先課題のため、ラゲム村のような遠隔の農村に公共インフラを広げる計画は今のところないと述べました。紛争が続くかぎり、税収で基本的な開発をまかなうことはできず、支援団体の予算も年々減っているといいます。同じ職員は住民主導の取り組みを市民参加の大切な手本だと称えましたが、称賛はコンクリートの代わりにはなりません。道を造る費用と労力は、もともと暮らしの苦しい人々の肩にかかっています。

半世紀前の世界銀行の報告書は、住民による開発の弱点も率直に書いていました。出稼ぎ送金の多い地域ほど住民の拠出も多く、地域間の差が開いたこと。維持管理が事業の流れの中で最も弱い部分で、多くの団体ではほとんど行われていなかったこと。施工を監督する技術が乏しく、道が粗く排水も悪かったこと。理事会の事業の約3割で、会計が締められていなかったこと。今日の道づくりにも、同じ問いが向けられます。雨季のあと、誰が補修するのか。寄付の記録は、WhatsAppのグループの外からも確かめられるのか。井戸の本数や受益世帯数も、活動する側と住民の話によるもので、第三者が確かめた数字ではありません。

お金だけでは道は通りません。ダムナの道づくりでは、計画路の一部が隣の村の土地にかかり、権利関係の複雑さが課題になりました。その2年前には、別の村から始まった計画が途中で止まった経緯もあります。住民の道は、お金と労働に加えて、土地をめぐる合意の上に成り立っています。

日本の村の「自普請」と、長野県下條村の生コン

日本の道は、税金で国や自治体が造り、直すものです。戦争で財政が尽きた国の村と、条件は大きく違います。それでも、日本の村にも、道を自分たちで直してきた歴史があります。江戸時代、村の中の道の補修は「自普請」と呼ばれ、村の費用でまかなわれていました。幕府が費用を負う「御普請所」と、村が負う「自普請所」の区別もあったと、国土交通省の横浜国道事務所は説明しています。

現代にも例があります。人口4,000人ほどの長野県下條村では、1992年(平成4年)に就任した伊藤喜平村長が、地域から求められる200万円以下ほどの工事について、役場では引き受けないと宣言しました。2005年に国土交通省などが開いた「全国水の郷サミット」の講演で、村長は当時のことを次のように振り返っています。「どうか皆さん自分で汗をかいて下さい」「浮いたお金は巡りめぐって必ず皆さんの所に返りますから」。村は半年ほど、険悪な空気に包まれたといいます。

やがて、ある集落が「しからば自分達でやる。ついてはコンクリート20立方欲しい」と申し出ました。それをきっかけに、住民が自ら施工する工事が村中に広がりました。村は、受益者3人以上で行う村道・農道・水路の舗装や側溝の工事に資材を支給しています。1992年度から2004年度までの支給額は総額約2億2,450万円で、か所数の記録が残る1994年度以降だけでも917か所にのぼります。村長は、費用が通常の5分の1から6分の1で済むと説明したうえで、「私どもは意識改革したくて意識改革したんじゃなくて、貧乏だったから本気で取り組めたのだと思います」とも語っています。現在の村の制度では、住民が自ら施工する農道・水路などの工事に、資材費や重機の借上料の8割を支給しています。同じサミットでは、別の登壇者が、昔の簡易水道も役場がパイプなどの資材を配り、集落の人々が埋めて整備されたという話を紹介していました。

下條村もかつての北イエメンも、行政と住民が「誰が何を負担するか」を決めたうえで、ともに道を造っていました。ラゲム村では今、資材も労働も、住民がすべて背負っています。参照できるのは手法そのものより、この分担の決め方なのかもしれません。行政がもう一度その役割を担える日が来たとき、住民が積み上げてきた経験と記録は、話し合いの土台になるはずです。

祈りによせて

ミニバスが村まで来るのを見て、皆に希望が湧き、寄付がさらに集まった——このエピソードには、道というものの本当の意味が表れているように思います。道は、人と物を運ぶだけではありません。「自分たちでも変えられる」という手ごたえを、村に運んできたのです。

残る500mの急斜面が、無事に舗装されますように。水を求めて3kmを歩いていた人々の時間が、学びと休息と暮らしのために使われますように。そして、戦争が終わり、住民が背負ってきた荷物を、社会全体でふたたび分かち合える日が訪れますように。64セントの寄付から始まった道が、その日へと続いていることを願います。

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イエメンが平和でありますように

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参考・引用元

  • Al Jazeera「Yemen's crumbling roads mean an arduous quest for water for Taiz villagers」(2026年8月2日・独立報道):aljazeera.com
  • Yemen Monitor「تداعي الطرق في اليمن يكبد سكان قرى تعز رحلة شاقة للحصول على المياه」(2026年8月3日・上記記事のアラビア語翻訳版):yemenmonitor.com
  • Reef Yemen「تعز.. طريق الدمنة في جبل حبشي حلم بدأ يتحقق」(2025年8月19日・イエメンの農村専門メディア):reefyemen.net
  • Yemen Freedom「تعز.. مبادرة أهلية تنهي رعب التنقل بين القرى والمدينة في جبل حبشي」(2024年9月16日・現地メディア):yemenfreedom.net
  • World Bank「Yemen Arab Republic - Local Development Associations: A New Approach to Rural Development」(Report No. 2963a-YAR, 1981年3月・国際機関の報告書):documents.worldbank.org
  • Ahmed al-Harbi「The Experience of the Cooperative Associations for Development (abstract)」(2008年・CEFAS論集『Société civile, associations et pouvoir local au Yémen』所収の英語要約):books.openedition.org
  • Helen Lackner「Participatory Development and the Emergence of a Rural Civil Society (abstract)」(2008年・同論集所収の英語要約):books.openedition.org
  • 国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所「東海道Q&A:江戸時代の道の維持管理」:ktr.mlit.go.jp
  • 国土交通省ほか「第11回全国水の郷サミット報告書」(2005年10月開催・伊藤喜平 下條村長の講演と配付資料を収録):mlit.go.jp
  • 下條村「令和7年度 補助制度概要」(建設資材支給事業):vill-shimojo.jp

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