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ウルグアイの住宅協同組合 ― 法律がなかったので、90世帯は「消費組合」として家を建てた

1966年、ウルグアイの地方都市で、3つの小さな集団が家を建て始めました。

サルトの鉄道労働者たち。フロリダ県25デマヨの、酪農場と牛乳輸送で働く人たち。フライベントスの市役所職員たち。3組合を合わせても90世帯に届きません。そして当時のウルグアイには、住宅協同組合という制度がまだ存在しませんでした。

そこで彼らは、「消費協同組合」として登記して着工しました。買い物のために作る組合の枠を借りて、家を建てたのです。

それから58年。この国では、公的な資金でつくられる住宅の半分以上が、彼らの始めた方式で建てられています。

法より先に、家があった

3つの実験を設計し、組合を組織して支えたのは、1961年に設立された民間団体「ウルグアイ協同組合センター(CCU)」でした。1965年に住宅部門を新設し、資金は米州開発銀行からの融資で賄っています。

時代の空気も後押ししました。1960年代初頭のウルグアイは経済危機に入りつつあり、政府の投資経済開発委員会が全国の実態診断を行って、都市の貧困が着実に広がっていること、それに対処する計画も制度も無いことを明らかにしていました。1965年には労働組合が全国的に統一され、その綱領に住宅計画と「都市改革」——農地改革と同じように、土地の所有のあり方を問う——が掲げられます。

もうひとつ、目に見えにくい土台がありました。19世紀末からの移民が持ち込んだ相互扶助の文化です。医療共済、庶民の貯蓄金庫、地域振興会。1966年の時点で、この国にはすでに80年ほどの協同組合の蓄積がありました。みんなで何かを建てるという発想は、突飛なものではなかった。当時の組合員たちは、外から「ドン・キホーテだ」「正気じゃない」と言われても気にしなかった、と後に語っています。

1967年から68年にかけて、議会は住宅法案を、当時としては珍しいほど開かれた形で審議しました。法律13.728は、1968年のクリスマスの数時間前に可決されます。推進したのは建築家で上院議員のフアン・パブロ・テラ。その第10章が、協同組合に充てられました。

この順序が大事です。国が制度を作って住民に使わせたのではありません。90世帯が先に建て、その結果を見た議員たちが、後から法律を作った。研究者は、この章の挿入自体が「建設業者の利害と正面から対立する」ものだったと指摘しています。

賃金に連動する「住宅の通貨」

法律が作った仕組みは、単純ですが考え抜かれていました。

建設資金の85%を国が融資し、残り15%を組合員が負担する。負担の仕方は2つ。あらかじめ貯金を積むか、建設現場で働くか。後者が「相互扶助(アユダ・ムトゥア)」で、目安は週21時間の労働です。貯金のできない人にも道が開かれる。

返済は25年。ここで効いてくるのが、同じ法律が導入した「再調整単位」という単位です。物価ではなく賃金指数に連動する、いわば住宅専用の通貨。1967年のインフレ率が136%に達した国で、返済額を賃金の動きに結びつけたわけです。これがなければ制度は数年で壊れていたはずです。

そして所有のかたち。組合には「所有者方式」と「使用者方式」があり、広がったのは後者でした。住宅と土地の所有権は組合にあり、分割されません。組合員が持つのは期限のない使用権で、家族や配偶者に引き継げます。売って値上がり益を得ることはできない。出ていくときは組合を脱退し、それまでに入れた労働と貯蓄と返済分が、賃金指数で更新された額で払い戻されます。

債務も個人ではなく組合に帰属します。誰かが払えなければ組合全体が肩代わりし、内部の連帯基金が支える。失業した組合員には、国が返済額の15〜90%を補助し、職に戻ったあとも補助分を返す必要はありません。市の固定資産税と初等教育税も免除されます。

設計や工事の管理は組合が自分たちで担い(自主管理)、法律で登録された技術支援機関が建築・法律・社会福祉の専門家を出して伴走します。組合員が現場でやるのは補助的な作業が中心で、工事の大部分は施工会社が担います。

「ウルグアイの」と名乗れなかった連合

1970年5月24日、最初の組合イスラ・マラの完成式に、全国から8つの組合の代表が集まりました。その場で連合が結成されます。FUCVAM——相互扶助住宅協同組合連合。

略称の「U」は、本来「ウルグアイの」を意味するはずでした。ところが政府が、団体名に国名を使うことを認めなかった。そこで「統一(Unificadora)」に差し替えられています。始まりから、この運動は行政と正面で向き合っていました。

法律の効果はすぐに現れます。1975年には、国立住宅銀行に持ち込まれる融資申請の2件に1件が住宅協同組合向けになっていました。

誕生日会という名の集会

1973年、軍事クーデターが起きます。

政府は協同組合への融資を止め、1975年からは法人格の付与も停止しました。技術支援機関の登録を止め、住宅基金の資金は民間の分譲住宅へ回されます。1977年には経済担当の高官が国家評議会で、協同組合運動は「我々の市民の気質に合致しない」ものであり「安全に影響しうる側面を含む」と述べました。

組合の内部にも統制が入りました。総会を開くには警察に許可を求め、議題を提出する。議題は削られ、許可された総会にも警官が入ってきて討論を録音した。当局は市民を「民主主義への忠誠度」でA・B・Cに分類しており、組合の役員選挙では、候補者名簿から当局の判断で名前が消されました。労働組合や政治の経験がある人ほど、役員になれなかったのです。

組合の対応が印象に残ります。誕生日会や記念日の祝いという名目で集会所に集まり、そこで情報と意見を交換した。警察に咎める口実を与えずに、議論の場を保ったわけです。

役員になれなかった古参は、住民の福利を担う「振興委員会」に回りました。そこで保健所を作り、図書館を作り、体育館と保育所を作った。弾圧が、意図せず二つのものを育てています。新しい世代の役員が予定よりずっと早く育ったことと、団地の集会所が街の文化の拠点になったことです。

一日で33万筆

独裁の末期、政府は制度の心臓部に手をかけます。使用者方式の組合を、区分所有——つまり個人の持ち家——に転換させる政令法を出したのです。共同所有をなくせば、集団として動く力も消える。そういう計算でした。

連合の側は、憲法に定められた国民投票の制度を使って対抗しました。署名を集め、法を住民投票にかける。1983年、たった一日で33万筆が集まったと伝えられています。翌1984年2月には必要な数を超えました。

政府はこの署名を無視して転換を進めましたが、最高裁判所が違憲と判断し、1986年末、民主化した議会がこの政令法を廃止しました。

この一件は、制度の性格を決めました。共同所有は、国が与えたものではなく、一度は取り上げられかけて、住民が署名で押し返して守ったものになったのです。連合は民主化交渉の場にも参加しました。ただし、そこで交わされた住宅に関する約束の多くは、その後の政権に守られていません。法人格の付与が再開されるまで、民主化から5年近くかかりました。

58年で、何が建ったか

数字を並べます。出所と時点によって幅があるので、そのまま書きます。

住宅省の担当者が2019年に示した公式の数字では、1968年から2018年までに建てられた協同組合住宅は約3万1,000戸。うち1万1,000戸は直近15年の分で、さらに6,000戸が工事中でした。別の研究者の集計では、2019年時点で協同組合住宅は5万3,000戸を超え、全住宅の4.27%にあたるとされています。数え方——建てた戸数か、現存するストックか——が違うため、直接は比べられません。人口の2.5%以上が協同組合住宅に暮らしている、という推計もあります。

国全体で見れば大きな割合ではない。ただし分母を「国の資金で建てられた住宅」に変えると景色が一変します。2010年から2014年にかけて公的資金で作られた住宅の34%が協同組合方式で、2015年から2019年の5年間では50%を超えました。

地域差も大きく、西部の都市メルセデスでは住宅のおよそ4割が協同組合だといいます。19の県すべてに存在します。

国は、なぜ続けているのか

ここは冷静に見る必要があります。58年続いたのは、美談だからではありません。

まず、安い。住宅省の見積もりでは、協同組合による建設は施工会社に任せる場合より20〜25%安く上がります。首都の実例では、70平方メートルの住戸が約9万ドル。市場で同程度の新築を買えば14万5,000ドルを超えます。

国が建てなくていい。用地の交渉も設計も工事の管理も、組合が自分たちでやる。完成後の維持管理も組合が担うので、公営住宅のように国が抱え続ける必要がない。

回収しやすい。債務が集団に帰属し、内部の連帯基金があり、失業には補助が入る。

そして公費が市場に流出しない。転売できないので、補助を受けた住宅が値上がり益とともに誰かの資産に変わることがなく、次の世代の住まいとして残り続けます。ある組合員は、この方式を選んだ理由を「街の一部を投機の手から取り返せるから」という趣旨で語ったと報じられています。

制度も、時間が経てば老いる

58年のあいだに、批判もたまってきました。

1990年代には、制度が悪用されています。住宅省の担当者自身が2019年に、この時期は融資が「点滴のように」細り、「都市の土地市場と公的な住宅資金の両面で、ほぼ詐欺に近い取引を覆い隠すような協同組合の運用が容認された」と述べています。管理の仕組みが整えられたのは2005年以降だ、と。

2008年以降の規則は、組合を小さくしました。1組合あたり50戸が上限になり、共同施設への融資は集会所だけに限定された。初期のように学校や保育所ごと街を作ることは、もうできません。研究者は、これによって都市への貢献が失われたと批判しています。

組合員が似た人ばかりになる。手続きに何年もかかるため同世代が固まり、同時に高齢化する。相互扶助方式と貯蓄方式が分かれているので、所得の近い人どうしが集まる。技術支援機関が45組合を対象に行った2023年の調査は、段差や階段が高齢者に厳しくなっていることを指摘しました。もっとも、半数の組合が「最小限の改修で対応できる」と答えてもいます。

名義は、たいてい男性です。協同組合を所管する公的機関の代表は2019年、女性が男性と同じ時間だけ現場で働いているのに、「世帯主」として登録されるのは男性であることが多いと述べ、まだ解決していない課題だとしています。連合のジェンダー部門と大学の共同研究も、共同スペースが年々縮小し、ケアの負担の偏りを是正する場になっていないと指摘しています。

入口の壁もあります。組合員の募集要項には「正規の、証明できる収入」が並びます。所得の上限はありますが、下限に近い人——不安定な仕事で収入を証明できない人——は、そもそも入りにくい。週21時間を数年間出せる体力と時間も要ります。

連合そのものも変わりました。役員は各組合が推薦し、会派を組まずに全体で選ぶ——それが独立性を保ってきたのに、2017年に規約を変えて会派名簿での立候補を認めた。これを「原点の喪失」と見る当事者もいます。

2026年、順番の決め方が変わった

いま、この制度が抱えている最大の問題は待ち時間です。

融資は年2回の抽選で配られます。組合を作ってから融資が下りるまで、3年から5年、それ以上のことも。2019年に取材を受けた3児の母親の組合は、2007年に設立して融資が下りたのが2017年でした。彼女はそれを「一生分だ」と言い、それでも、自分の家の最初の窓が入るのを見て泣いた、と語っています。工事は24〜36か月続き、関わり方の温度差から組合員どうしの摩擦が最も起きるのもこの時期だといいます。

2026年8月6日、住宅・国土整備省は今年最初の抽選で、初めて「加重抽選」を採用しました。枠を参加回数で3つに分け、3回目の応募に50%、2回目に30%、初めての応募に20%を配分する。長く待った組合ほど当たりやすくする仕組みです。省と技術支援機関、組合の代表が参加する4つの作業部会での協議を経て導入されました。

今回の枠は1,000戸。うち684戸は3回連続で応募した組合にすでに配分されており、残る316戸を、33組合・1,032戸分の希望に対して抽選しました。応募した33組合のうち、初めての組合はゼロでした。今年は2回の抽選で1,500戸に融資する計画です。

もちろん、これで待ち時間がなくなるわけではありません。連合は今年5月の創立56周年の集会で、国家住宅基金の再建、住宅予算の増額、用地の確保、建設資材にかかる付加価値税の撤廃を改めて求め、決算法案に住宅の項目がないと批判したと現地紙が伝えています。制度の内側にいる人たちが、制度に不満を言い続けている。58年、その繰り返しでここまで来ました。

祈りによせて

この運動には歌があります。1982年、独裁下の若い組合員たちが企画した文化活動のなかで音楽家が作ったもので、歌詞は組合員たちが持ち寄りました。一行だけ紹介します——家は終わりではなく、始まりだ。

90世帯が、制度のない場所で家を建て始めた。法律が後から追いつき、独裁が一度それを壊そうとし、住民が署名で押し返し、いまも予算をめぐって毎年もめている。きれいな話ではありません。けれど58年のあいだ、この国では「家は売って儲けるものではない」という考え方が、制度として生き延びてきました。

ウルグアイのどこかで、今日も誰かが週末に現場へ出ています。自分の家ではなく、まだ誰が入るか決まっていない家の壁を塗るために。その手が報われますように。順番を待っている家族に、その日が来ますように。

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参考・引用元

  • la diaria「La otra ciudad: una aproximación histórico-conceptual al cooperativismo de vivienda por ayuda mutua en el Uruguay」(2021年7月29日、Javier Vidal)=ウルグアイの独立日刊紙・全文公開記事:ladiaria.com.uy
  • Pérez Blanco, F. と Pelegrín-Rodríguez, M.「Evolución de las cooperativas de vivienda en Uruguay」『Astrágalo』38号(2025年)=査読論文:revistascientificas.us.es
  • elDiario.es「Propiedad colectiva para evitar la especulación: así funcionan las cooperativas de vivienda en Uruguay」(2019年4月19日)=住宅省担当者と組合員への現地取材:eldiario.es
  • ウルグアイ大統領府「Cooperativas: MVOT sorteó cupos para más de 300 viviendas」(2026年8月6日)=加重抽選の実施と配分の内訳:gub.uy

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