現在の祈りの総数は

広告 イタリア 環境

イタリア中央アペニンのマルシカヒグマ ― 撃たれた村が、クマの棲む村になるまでの10年

2026年7月、イタリアの国立環境保護研究所が、ある調査の結果を公表しました。世界でイタリア中部の山にしか生息しないマルシカヒグマ。その総数の推定値は、81頭。

この亜種は長く「約60頭」と語られてきました。数字だけを見れば、増えたように見えます。けれど、そう読むのは正しくありません。

81という数字が意味しないこと

前回の本格的な個体数調査は2014年に行われました。対象面積は約1,500平方キロ。今回は約6,500平方キロです。北はリエーティ県から、南はフロジノーネ県とイゼルニア県まで。測った範囲が4倍以上に広がりました。

比較できるのは、同じ場所どうしだけです。歴史的な中核であるアブルッツォ・ラツィオ・モリーゼ国立公園とその隣接区域の推定は56頭(幅は49〜63)。2014年の51頭に対して、「安定、ないし微増」というのが研究者の評価です。しかも密度は100平方キロあたり4.4頭で、この土地が支えられる限界に近いとされています。

もう一つ、数字の性質にも注意が要ります。遺伝子によって個体として実際に識別されたのは70頭。81という数は、そこから統計モデルで推定した値です。「81頭が見つかった」わけではありません。

つまりこの発表は朗報ではあるけれど、「保護がうまくいって増えた」という話ではない。もっと地味で、もっと大事なことが分かった、という話です。

クマの毛を、854本集める

調査の手法は、動物を捕まえない「非侵襲的遺伝子モニタリング」でした。

有刺鉄線を低く張って囲いをつくり、においの誘引物を置く。クマがくぐるときに毛が引っかかる。そういう仕掛けを400か所。クマが自然に体をこすりつける「こすり木」を105本、有刺鉄線で装備。夏の餌になるクロウメモドキの群落に30か所。中央部は5キロ四方の升目に区切って1マスあたり5基、周辺部は7キロ四方の升目の半分を抽出して3基。

応用生態学研究所の技術者34人が、車で10万キロ以上、徒歩で1万キロ以上を移動しました。集まった毛は608点。地域の監視ネットワークが集めた246点を加えて854点。次世代シーケンサーによる解析で、81%から有効な遺伝子型が得られ、70個体が識別されました。

足りないのは、森ではなかった

この調査でいちばん重要だったのは、頭数そのものではありません。クマがどこにいて、どこにいないのか。その理由は何か。そこが分かったことです。

周辺部にクマが少ないのは、生息環境が悪いからではありませんでした。中核から遠ざかるほど密度が下がる。そして同じだけ離れていても、良好な回廊でつながっている土地には、明らかに多くのクマがいる。中核部は100平方キロあたり約4.4頭、周辺部は約0.4頭。10倍の差があります。

さらに、人に起因する死亡が多い地域ほど、クマが少ない。道路での衝突、毒物、密猟、そして人工の貯水池での溺死。

結論はこうです。分布の広がりを妨げているのは森の不足ではなく、通り道が切れていることと、通り道で死んでしまうことである。

これは、保護区をつくれば足りるという発想の限界を意味します。クマが歩いていく先には、人が住んでいる。そこで何が起きるかが、この亜種の未来を決める。

2014年9月、一頭が撃たれた

アブルッツォ州、ペットラーノ・スル・ジツィオ。人口1,300人ほどの自治体で、丘の上の旧市街に暮らすのは300人ほどです。二つの国立公園にはさまれた、細長い谷にあります。

2014年9月、この町域で若いオスのマルシカヒグマが射殺されました。住民から巣箱や鶏小屋、菜園の被害が訴えられていた末のことでした。

当時この村には「クマに反対する空気」があった、と関係者は振り返っています。撃った人を支持する住民も少なくなかった。マルシカヒグマが人を殺した記録は一件もなく、性質としては臆病で人を避ける亜種です。それでも、鶏を獲られる側からすれば、その事実は慰めになりません。

カナダの仕組みを、作り変えて持ち込む

その死のあと、地元で活動していた二つの団体が、ある判断をします。

カナダのブリティッシュコロンビア州に「ベア・スマート・コミュニティ」という仕組みがあることを、彼らは知っていました。クマを排除するのではなく、住民・事業者・行政が一緒になって、クマを町に引き寄せる原因のほうを取り除いていく。それを、この谷とマルシカヒグマの特性に合わせて作り変えて持ち込むことにした。イタリア初、そしてヨーロッパ初でした。

2015年4月、国際クマ研究管理協会から8,000ドルの助成を受けます。7月10日、ペットラーノの会議室で住民向けの説明会が開かれ、「クマと健やかに暮らすための実践手引き」が配られました。隣のロッカ・ピアの住民も対象でした。

やったことは、驚くほど地味です。100軒を超える敷地に電気柵を張り、ハチとニワトリと家畜を守る。クマが開けられない門とゴミ箱を設置する。熟れて落ちた果実は地面から拾う。生ゴミは収集日まで屋内に置く。そして集落から離れた場所で、放棄された果樹園の枝を剪定して、クマの餌をそちらに確保しておく。

実施団体の集計によれば、2014年から2017年のあいだに被害は99%減り、2020年以降は被害が出ていないとされます。独立した検証は確認できないので、この数字は団体の自己申告として受け取る必要がありますが、村の空気が変わったことは複数の取材が伝えています。

この仕組みは現在、16の自治体へ広がっています。EUのLIFE基金による事業(総額約586万ユーロ、うちEU拠出約439万ユーロ、5年間)が支えており、ギリシャ北部の2地域でも展開されています。近年は各地で住民の委員会が動きはじめ、地域の各層を代表する人たちが定期的に集まって、参加型で地図を描き、共存の計画を自分たちで立てるところまで来ました。菜園をシカやイノシシに荒らされて困っている農家も、狩猟者の代表も、その委員会に入っています。

それでも、死因の8割は人間である

ここまでは、うまくいった話です。同じだけの分量で、うまくいっていない話を書かなければ、この記事は嘘になります。

保護団体の集計として現地の媒体が伝えるところでは、1970年以降に記録されたマルシカヒグマの死は139件。そのうち約8割が人為的なものです。48%が密猟——銃撃、罠、毒。32%が事故——交通事故と溺死。1970年から2022年までに、13頭が車に、7頭が列車にはねられています。

2025年8月、廃業したスキー場の貯水槽で、2頭の子グマが溺れて死にました。内側をプラスチックで覆った、滑って上がれない構造の水槽です。同じことが2010年に、2018年にも起きています。15年で7頭。ある団体はボランティアと寄付だけで25か所の危険な貯水槽を安全化しましたが、行政の対応は追いついていません。

一度なら悲劇ですが、三度繰り返されれば、それは構造の問題です。誰かが放置を決めたわけではない。ただ、誰も「自分の担当だ」と思わなかった水槽が、山の中に残り続けている。

そして2023年8月31日。国立公園の外にある集落のはずれで、2頭の子を連れたメスグマが住民に射殺されました。地元でよく知られた個体で、好んで食べたサクランボの品種にちなんだ名前で呼ばれていました。撃った男性は、怖くて撃った、殺すつもりはなかった、自分の敷地に入っていたので反射的にやった、と話したと報じられています。子グマの一頭はその後死に、もう一頭は消息を絶ちました。

この事件の裁判は、2026年になっても終わっていません。手続き上の瑕疵で審理がやり直しになり、同年4月には6回目の期日を迎えて、さらに延期されました。約50の団体・機関が民事原告として参加する一方で、被告が住む自治体は、今回は原告に加わりませんでした。時効を懸念する声も上がっています。

犯人が特定された直後には、SNS上で個人への攻撃が広がり、司法当局が自宅前に警備を置く事態にもなりました。共存という言葉の下にあるものは、決して穏やかではありません。

クマは、村の側へ入ってきた

それでも、2026年の調査には一つ、静かな成果が記録されています。

ペットラーノを含むモンテ・ジェンツァーナ・アルト・ジツィオ保護区が、今回はじめて「中核区域」に算入されました。

この土地でリザーブの管理を担う協同組合の代表は、以前この村はクマが通り抜けるだけの回廊にすぎなかったが、いまや完全に中核区域の一部になった、と語っていました。数え方の話ではありません。10年かけて、クマが「通る場所」から「住む場所」に変わったということです。

過疎が進んだ村にクマが来たのではなく、クマが人を呼び戻した、という言い方もされます。自然の回復に関わる若い世代が移り住み、訪れる人も増えました。ただしその数字も実施側の集計であり、慎重に受け取る必要があります。

日本から、これをどう読むか

この話を日本で読むとき、まず確認しておかなければならないことがあります。条件がまるで違う、ということです。

環境省の速報値によれば、2025年度の日本のクマによる人身被害は216件238人、うち13人が亡くなりました。統計を取り始めた2008年度以降で最多です。出没件数は北海道を除く集計で5万801件、許可捕獲数は1万4,741頭。被害の6割超にあたる158人が東北6県に集中し、10月だけで89人が被害に遭いました。2026年度も7月末までに53人が被害を受け、6人が亡くなっています。

頭数の桁が違います。政府が2026年3月に決めた「クマ被害対策ロードマップ」の暫定的な推定では、北海道1万1,600頭、東北1万9,237頭、中部1万7,553頭など、合わせておよそ5万8,000頭。そして東北については、2030年度に1万2,000頭まで減らすという目標が置かれています。

中央アペニンのクマは81頭で、人を殺した記録がありません。日本のクマは5万頭規模で、去年だけで13人の命が失われています。イタリアが目指しているのは「増やすこと」、日本が目指しているのは「減らすこと」。目標が正反対です。

ですから「イタリアは一頭も殺さずにやった、日本もそうすべきだ」という読み方は成り立ちません。日本では2025年9月に緊急銃猟の制度が施行され、市街地に出たクマに対して自治体の判断で銃を使えるようになりました。2026年度は8月中旬までに、発砲に至った事例が26件記録されています。捕獲は対策の柱の一つです。それを否定する材料は、この記事のどこにもありません。

そのうえで、重なる部分もあります。

環境省は出没増加の背景として、農村の過疎化で人が減り、クマの行動範囲が広がったことを挙げています。人里に餌があることを学習した個体が増えた、とも説明しています。これはペットラーノで起きたことと、構造がほとんど同じです。そしてイタリアがやった対策——電気柵、生ゴミの管理、放置果樹の始末——は、日本で「放任果樹の除去」「緩衝帯の整備」として交付金の対象になっている手法と、内容がほぼ重なります。

ただし、ここで日本政府自身が釘を刺しています。放任果樹の撤去や潜み場の除去による緩衝帯の整備について、個体数が多すぎる状況においては防除策の決定打とはならない、と支援メニューの資料に明記されているのです。だからこそ強固な侵入防止柵の整備と、銃や罠による捕獲の強化が並行して進められています。

手法が同じでも、効き方が違う。この違いは動かせません。

ペットラーノが持ち込んだのは、クマを守る技術ではなく、住民が自分たちで決めるための枠組みでした。委員会をつくる。参加型で地図を描く。共存の計画を自分たちの手で立てる。被害に困っている農家も、狩猟者も、そこに入れる。誰も外に置かない。技術ではなく、決め方の話です。

日本でも、決め方をめぐる課題は数字に表れています。クマが生息する849市町村に対し、捕獲作業に従事する自治体職員は784人。政府はこれを2030年度までに2,500人へ、はこわなを5,527基から1万基へ増やす目標を立てました。人がいないのです。ロードマップが掲げる到達点の一つは、すべての自治体で「ゾーニング管理計画」——どこを人の生活圏とし、どこをクマの生息域とするかを線引きする計画——が策定されていることです。

そしてもう一つ、イタリアの話と鏡のように対応する現象が、日本で起きています。

2025年11月に決まった「クマ被害対策パッケージ」には、こう書かれています。クマの駆除に対する過剰なクレームが行政の対応を萎縮させるおそれがある——だから環境大臣談話などで国民に冷静な行動を呼びかけ、クレーム抑制に効果のあった事例を共有する、と。自治体向けの事務連絡には「カスタマーハラスメント対策事例について」という項目まで並んでいます。

イタリアでは、クマを撃った人が攻撃されました。日本では、クマを撃つ行政が攻撃されています。向きは逆ですが、起きていることは同じです。その土地に住んでいない人が、その土地で起きたことに強い言葉を投げる。そして現場にいる人が、判断できなくなる。

もう一つ、正直に付け加えるべきことがあります。この「ベア・スマート・コミュニティ」という仕組みの原型は、カナダのブリティッシュコロンビア州です。クロクマもグリズリーも多数生息し、人身被害も起きている土地で育った考え方でした。イタリアはそれを、希少種を増やすための仕組みに作り変えました。条件だけを見れば、カナダの原型のほうが、日本にはよほど近いはずです。

この記事が示せるのは、そこまでです。イタリアの成功を日本にあてはめる処方箋ではありません。ただ、「森を守る」でも「クマを減らす」でもない三つ目の問いが、あの谷では立てられていた、ということです。人が住んでいる側の土地を、誰が、どう決めて使うのか。

祈りによせて

2026年9月、ペスカッセーロリという小さな町に、世界中からクマの研究者が集まります。国際クマ研究管理協会の国際会議と、10年続いた共存事業の最終会合が同時に開かれるのです。世界に80頭ほどしかいない亜種の谷に、クマを研究する人たちが集まる。

会議の期間中、参加者はペットラーノまで歩いて下りていくそうです。ブナ林と牧草地を抜け、クマが公園と北の山を行き来する尾根を通って、石造りの家が斜面に積み重なった旧市街へ入る。昼食は家族経営の食堂で、この谷がずっと食べてきたものを出す。午後に城で、村の人たちが話をする。この村がどうやってクマと同じ谷で暮らすことにしたのか。電気柵と、ゴミ箱と、それを続けると決めた住民のことを。

華々しい成功譚ではありません。10年やって、81頭。うち中核部の外にいるのは16頭で、まだ安定した集団とは言えない。密猟も交通事故も溺死も続いています。裁判は終わりません。

それでも、鶏を獲られて怒っていた村が、10年かけて、クマが住みつく村になりました。誰かが説得したのではなく、住民が自分たちで決めて、毎年それを続けたからです。

世界のどこでも、人と生きものは同じ土地を使っています。日本の東北の集落でも、アペニンの谷でも、問われているのは同じことなのかもしれません。そこに暮らす人たちが、自分たちの土地の使い方を、自分たちで決められるかどうか。

その決定が、誰にとっても納得のいくものでありますように。そして、この谷でも、日本の山あいでも、これ以上の悲しみが積み重ならずにすみますように。

イタリアの人々のために祈りを捧げる方は、こちらのページへどうぞ。
イタリアのために祈る | 祈りのワールドツアー

Italy

イタリアが平和でありますように

+76

参考・引用元

  • DigitAP/イタリア国立環境保護研究所(ISPRA)「マルシカヒグマ:中央アペニンにおける新しい個体数推定の発表」(2026年7月17日):digitap.nnb.isprambiente.it
  • Rewilding Europe「個体数調査が中央アペニンの共存回廊の価値を裏づけた」(2026年8月4日):rewildingeurope.com
  • Rewilding Apennines「LIFE Bear-Smart Corridors」(事業概要・予算):rewilding-apennines.com
  • bioGraphic(米カリフォルニア科学アカデミー)「共存の美しさと、その獣たち」(2025年11月):biographic.com
  • Life in Abruzzo「アブルッツォのクマが直面する死と怠慢」(2025年8月):lifeinabruzzo.com
  • LifeGate「マルシカヒグマ:アペニンの共同体による保護」(2024年12月5日):lifegate.it
  • Salviamo l'Orso「クマに配慮した共同体」(2014年の事件と2015年の事業開始):salviamolorso.it
  • モンテ・ジェンツァーナ・アルト・ジツィオ州立自然保護区「クマに配慮した共同体の活動発表」(2015年):riservagenzana.it
  • L'AltraMontagna「アマレーナの裁判が再開、民事原告は増えたが被告の居住自治体は退いた」(2026年4月28日):ildolomiti.it
  • 環境省「クマに関する各種情報・取組」(人身被害・出没・捕獲の速報値、令和7年度・令和8年度の死亡事故概要、緊急銃猟実施状況):env.go.jp
  • クマ被害対策等に関する関係閣僚会議「クマ被害対策パッケージ」(2025年11月14日決定):env.go.jp
  • クマ被害対策等に関する関係閣僚会議「クマ被害対策ロードマップ」(2026年3月27日決定):env.go.jp
  • 「政府によるクマ被害対策 支援メニュー一覧」(令和8年1月時点版):env.go.jp

関連ページ

-イタリア, 環境
-, , , ,