ある国について、世界がどれだけのことを知っているか。それは、その国について誰かが書いたかどうかで決まる。
リビアには、ローマ、ギリシャ、フェニキア、ビザンツの遺跡が積み重なっている。アラブ、アマジグ(ベルベル)、トゥアレグの文化が並んで生きている。ところがインターネット上でリビアについて読める記述は、その厚みをまるで映していない。遺跡も、地形も、民俗も、文化やスポーツの記録も、大きく欠けたままだ。
2026年の春、ベンガジの図書館に数人が集まった。誰かが書いてくれるのを待つのをやめるために。
179人が手を挙げた日
始まりは2023年4月29日、一回のオンライン会合だった。
きっかけをつくったのは、サレマという名でウィキペディアを編集していたリビアのボランティアである。アラビア語版ウィキペディアの記念日の催しで、域内の編集者たちとつながった。その場で受けた刺激をもとに、NANöRと名乗る編集者とともに、自国に同じような輪をつくれないかと考え始めた。
4月3日にフェイスブックのページを立ち上げ、参加登録の用紙を広く配った。179人が応答した。組織化された自由な知識の取り組みが、この国にはほとんど存在しなかったことを思えば、少なくない数だった。
最初の企画は「リビア人ウィキペディアン 第1期」。毎週のオンライン講習で、アラビア語版ウィキペディアの編集を教えた。教えたのは技術だけではない。何が記事にするに値するのか、何が信頼できる出典なのか。この百科事典を成り立たせている約束事のほうを、時間をかけて伝えた。
積み重ねてきた三年
そこから先は、地道な繰り返しになる。
2023年6月、ベンガジで気候をめぐる公開の議論の場を持った。題は「リビア——我らの気候、資源、未来の課題」。国内の環境団体と文化財団が共に主催した。第2期の講習では、初心者向けの画面ではなく、あえて原文を直接書き換える方式を採った。仕組みの内側を理解してほしかったからだ。
2024年には、トリポリで指導者を育てる講座を開いた。教わった人が教える側に回れば、輪は自分で広がっていく。同じ年、リビアで初めて「ウィキ・ラブズ・モニュメンツ」——国内の記念建造物を撮影して自由に使える形で公開する国際コンテスト——を実施した。12月には、歴史書『西トリポリの歴史』を電子図書館に載せる作業に取りかかった。
高校生の女子を対象にした編集講座も始めた。名を「リトル・ウィメン・エディティング」という。
2024年7月、ベンガジでアラビア語版ウィキペディアの20周年を祝ったときのことが、この取り組みの性格をよく表している。映画『ザ・メッセージ』でビラール・イブン・ラバーハを演じた俳優を招いた。そしてその人についての記事を、その場で、参加者の手で更新した。
誰かが書き足してくれるのを待つのではなく、目の前で書く。この日のやり方が、そのまま次の年の企画になった。
ラマダンの図書館で
2026年2月23日、「ウィキ・ラブズ・リビア」が始まった。年末まで続く予定である。
断食月のあいだ、ベンガジのバラー文化芸術財団にあるモハメド・サシ図書館で、対面の編集会が6回を超えて開かれた。その空間は、共同作業のための開かれた場所に変わった、と参加者は書き残している。
やっていることは、地味だ。図書館の本棚から出典になりそうな本を探す。ネット上の信頼できる資料を突き合わせる。中立性の方針と百科事典の規則に沿って書く。専門家に連絡を取って確かめる。どの記事を先につくるか、優先順位を決める。
成果として、250本を超える記事の一覧が公開された。これは「これから書く・書き直す」という提案の一覧であって、完成した記事の数ではない。並んでいるのは、たとえばこんな項目だ。
キレネの墓地、ガート要塞、ガダーミスの古モスク、マルクス・アウレリウスの凱旋門、ドゥーガ宮殿、いくつもの古い飛行場。カランショ砂漠、フェザーン盆地、ボンバ湾。バジーン、マトルーダ、ムバクバカといった郷土の料理。土地の慣習と言語。そして、リビアの選手やスポーツクラブ、オリンピックや地中海競技大会への出場の記録。
遺跡と、砂漠と、料理と、サッカー。ひとつの国が持っている厚みとは、たぶんこういうものの総和である。
中核は三人
正確に書いておきたい。この取り組みを回しているのは、三人である。
助言役が一人、調整と進行役が二人。法人格はなく、国内の技術系財団が財政上の受け皿になっている。運営資金はウィキメディア財団のコミュニティ基金から出ており、外から来ている。ただし発意は現地の側にあり、助成を申請する前の年から活動は始まっていた。
2025年の計画で掲げた目標は、参加者225人、編集者120人、うち新規90人。国の規模から見れば、ごく小さな数字だ。
そして同じ計画書には、課題も正直に書かれている。新規の編集者90人に対して、定着を見込むのは20人。燃え尽きをどう防ぐか。前年の記念行事については、「百科事典とその重要性を事前に知らないために参加者が集まらない」という反省が記されていた。
リビアは、東西に分かれた統治が長く続いてきた。活動の中心はベンガジで、トリポリでも催しは開かれているが、国全体を均しく覆えているとは言えない。
書かれたものしか、載せられない
もうひとつ、この試みが正面からぶつかっている壁がある。
ウィキペディアは「信頼できる出典」を求める。誰かが確かめられる形で、すでにどこかに書かれていること。それが記事に載せられる条件になる。この規則は、でたらめが紛れ込むのを防ぐために不可欠なものだ。
だが同時に、この規則は、文字にされてこなかった文化に対して構造的に不利に働く。祖母が孫に手つきで教えてきた料理の作り方は、どこかの本に書かれるまで載せられない。土地の言葉で語り継がれてきた地名の由来も、誰かが論文にするまでは「出典がない」。植民地期に外国人が書き残した記録のほうが、そこに住んできた人々の記憶より「信頼できる」ものとして扱われることさえある。
だから、ベンガジの人たちが図書館の本棚を探しているという事実には、二重の意味がある。出典を見つける作業であると同時に、自分たちの文化が文字にされてきた分だけしか書けないという制約と向き合う作業でもある。書かれていないものは、まだ書かれていないという理由だけで、存在しないことになってしまう。
この壁は、彼らが決めたものではない。世界中の自由な知識の場が抱えている設計上の問題である。
それでも、書く人がいる
「ウィキ・ラブズ・リビアは一過性の編集活動ではありません。リビアを自由な知識の地図の上に置くための、体系的で持続的な試みです」——参加者たちはそう記している。
この言葉が実現するかどうかは、まだ分からない。三人で回している取り組みは、その三人が続けられなくなれば止まる。定着する編集者は少なく、資金は外から来ている。250本のリストのうち何本が実際に公開されたかも、記事の執筆時点では確かめられなかった。
それでも、確かなことがひとつある。リビアについての記述が薄いという問題を埋められるのは、結局のところ、リビアに住み、その言葉を話し、その図書館の本を読める人たちだけである。外から誰かが来て解決してくれる種類の欠落ではない。
だから、断食月の午後に図書館へ足を運び、砂漠の盆地や祖母の料理について調べ、注釈をつけて公開した数人がいたということは、それ自体で完結した意味を持っている。
祈りによせて
世界がある土地をどう見るかは、その土地について何が書かれているかに、思っている以上に左右されます。書かれていなければ、無いのと同じように扱われてしまう。そして誰かの代わりに書ける人は、実のところ、どこにもいません。その料理の匂いを知っていて、その要塞のそばで育って、その図書館の本を読める人にしか書けないことがあります。
分断の続く国で、法人も持たず、給料も受け取らない数人が、図書館の一室に集まって自分たちの国のことを書き足しています。規模は小さく、続くかどうかも分かりません。けれど「誰かが書いてくれるのを待つ」のをやめた人がいるという事実は、もう動かせません。リビアに暮らす人々の上に穏やかな日々が重なりますように。そして、まだ書かれていないたくさんのことが、それを知っている人たちの手で、少しずつ書き留められていきますように。
リビアの人々のために祈りを捧げる方は、こちらのページへどうぞ。
🕊️ リビアのために祈る — 祈りのワールドツアー
リビアが平和でありますように
参考・引用元
- Wikimedia Diff「Wiki Loves Libya: Libyan initiative that documents the country's heritage and introduces the world to its diversity」(2026年5月1日):diff.wikimedia.org
- Wikimedia Diff「Wikimedia Libya Community: Building Free Knowledge in a New Space」(2025年5月9日):diff.wikimedia.org
- Meta-Wiki「Wikimedia Libya Community Support Grant 2025」(助成申請書・体制と目標値):meta.wikimedia.org
- Meta-Wiki「Wikimedia Libya Community Support Grant 2024」(前年の課題の記述):meta.wikimedia.org
- Meta-Wiki「Wikimedia Libya」(ユーザーグループの位置づけ):meta.wikimedia.org
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