2026年3月17日、環境省が第5次レッドリストを公表した。北海道に生きるタンチョウは、絶滅危惧Ⅱ類から準絶滅危惧へと一段階引き下げられ、絶滅危惧種の一覧から外れた。1952年の調査で確認されたのは、わずか33羽だった。その回復を支えたのは、一人の校長と、数人の子どもたちが始めた行為である。
猛吹雪の日に、子どもたちが見つけたもの
タンチョウは江戸時代まで北海道各地にいて、冬は本州まで渡っていたと考えられている。それが明治期の乱獲と湿地の開発によって激減し、一時は絶滅したものと思われていた。1924年、釧路湿原の冬も凍らない湧き水のほとりで十数羽が再発見される。しかし保護の網をかけても数は増えなかった。ドジョウを放流し、ソバを撒き、セリを移植しても、警戒心の強いこの鳥は餌付かなかった。
転機は1950年代の初めに訪れる。環境省の記録によれば、1950年に阿寒町の畑に撒かれたコーンをついばむ個体が現れ、1952年には大雪と寒波をきっかけに急速に餌付いた。鶴居村に伝わる話は、もう少し具体的だ。その冬、猛吹雪で餌を見つけられなかったのだろう、3羽のタンチョウが人里近くのデントコーン畑まで下りてきた。畑でうずくまっている鳥がいることを、子どもたちが幌呂小学校の校長に伝えた。校長が給餌を提案し、子どもたちがトウモロコシを円錐形に積み上げた「にお」を作る。12月15日、給餌は初めて成功した。以降、各家庭から少しずつ穀類を集めながら、児童たちが冬のあいだ毎日餌を運んだ。
同じ1952年、道内で行われた第1回の一斉調査で確認されたタンチョウは33羽。子どもたちの手による給餌の成功は、絶滅と生存の境目で起きた出来事だった。10年後には下雪裡小学校でも給餌が始まり、北海道教育委員会は地域住民に「給餌人」を委嘱するようになる。
その給餌人の一人に、鶴居村で開拓と酪農を営んだ伊藤良孝という人がいた。1966年から給餌を始め、1968年から1996年まで給餌人を、1981年から2000年まで監視人を務めた。81年の生涯の半分をタンチョウに費やしたことになる。30年にわたって給餌を続けた理由について、その人が「小さい頃からタンチョウを見てきた。特別なことではない。誰かが餌をあげなければ」と語っていたと、日本野鳥の会は紹介している。1987年、同会は全国からの募金でその土地にサンクチュアリを開設した。施設には、いまもその名が残っている。
三十三羽から千九百羽へ
冬の餌不足が解消されたタンチョウは、着実に数を戻していった。2005年度に1,000羽を超え、2025年1月の調査では1,927羽が確認されている。ここで数字の性質を分けておきたい。1,927という数は目視で確認された個体の数であり、繁殖に加わる成熟個体(成鳥)の数は1,200羽程度と試算されている。環境省がレッドリストの区分を見直したのは、この成熟個体数の評価に基づくものだ。
日本野鳥の会は現在、所有と協定を合わせて23か所・約2,800ヘクタールの野鳥保護区を持ち、31つがいの生息地を守っている。1984年にツル保護の専門委員会を設けてから、40年あまりの積み重ねである。
ただし、同会自身がこう釘を刺している。準絶滅危惧という区分は「存続基盤が脆弱な種」を指し、生息条件が変われば再び絶滅危惧の側へ戻りうる。冬に自然の餌となる資源や、凍らないねぐらの水辺は依然として不足している。危機を脱したのではなく、危機の形が変わった、と読むべきだろう。
「守る」ことをやめるという難題
いま環境省は、給餌を減らす方向に舵を切っている。誤解されやすいのだが、これは「増えすぎたから減らす」という話ではない。環境省のタンチョウ生息地分散行動計画は、給餌を暫定的な措置と位置づけたうえで、現在の推定生息数である約1,800羽を下回らないよう個体群の自然な成長は維持しながら、給餌への依存度を徐々に減らしていくと明記している。減らす対象は餌であって、鳥ではない。
理由は四つある。
第一に、依存そのものが弱さだという認識だ。計画にはこう書かれている。給餌は予算などの社会状況に応じて量や継続性が変わりうるため、タンチョウが給餌に大きく依存している限り、安定的に存続できる状態とはいえない。鳥の生存が行政の予算と人の善意に握られている状態を、保全とは呼べないという考え方である。
第二に、集中がもたらす感染症のリスク。2012年には個体数の約59パーセントが三つの大規模給餌場に集まっていた。重い感染症が発生すれば、一度に数を失いかねない。そして2022年、釧根地域で高病原性鳥インフルエンザに感染したタンチョウが確認され、この懸念は現実の隣に来た。
第三に、人馴れの代償。近年、タンチョウの傷病要因で最も多いのは交通事故である。電線への衝突、農作物や畜産飼料の食害も起きている。
第四に、これが最も切実なのだが、自然な分散が起きなかった。数が増えれば越冬地も自然に広がると期待されていた。ところが実際には、道北や十勝で繁殖した個体までが、わざわざ釧根地域の給餌場へ移動して冬を越す。給餌が、鳥を一箇所に引き寄せる磁石になってしまった。給餌に頼らず越冬している道央の個体群は、15羽ほどにとどまる。
2015年度から、環境省委託の三大給餌場では前年比1割ずつの削減が進み、現在の最大給餌量は2014年度比で5割以上減っている。しかし話はそれで終わらなかった。給餌場を使わなくなった個体が、周辺の酪農・畜産農家の敷地に入り込むようになったのだ。計画自身が、農業被害への懸念が生じていると認めている。集中を解けば、被害が薄く広く散らばる。守ることの終わらせ方は、始め方よりも難しい。
ここで見落としてはならないのは、被害を受けている酪農家と、給餌を担ってきた人々が、しばしば同じ人だということである。撒いたばかりのデントコーンの種や、配合飼料に混じるコーンが食べられる。その一方で、飼料の管理を見直したことでタンチョウの飛来数が大きく減った事例も確認されている。誰かが悪いという構図には、なっていない。
減らす国と、引き継ぐと決めた村
興味深いのは、この削減が上からの一律の号令になっていないことだ。鶴居村にある二つの給餌場では、2021年度から2023年度までの3年間、削減がいったん止められ、2021年度の量が維持された。その後の方針は村と協議のうえで改めて決めるとされている。阿寒の給餌場だけは削減が続いた。場所ごとに歩幅が違う。
さらに計画は、北海道が委嘱する給餌場について、給餌人の高齢化で継続が難しい箇所があると認めたうえで、こう書いている。給餌人が果たしてきた役割や経緯、地域の背景を考慮したうえ、給餌人の意志にも十分に配慮する必要がある。国の計画文書が、餌をやめるかどうかの判断において、一人ひとりの給餌人の意志を配慮すべき対象として書き込んでいる。
そして鶴居村は、2019年12月に自らの方針を決めた。村は、環境省が国による給餌の将来的な全廃を目指す一方で、地域の合意に基づく適正な給餌は否定していない、と整理する。そのうえで、タンチョウ保護の発祥地としての責任と気概を持って保護活動を継続したい、適正な給餌は必要不可欠であり、国による給餌が終了しても村として何らかの形で給餌を継続する、と宣言した。条件も添えられている。地域はもとより広く社会の理解を得ながら行うこと。国や北海道、周辺自治体の理解を得て連携すること。そして越冬期の自然採食地の把握・保全・創出を同時に進め、適正な給餌の方法を常に検討しながら実施すること。
この方針を練った場が、2018年に発足した「鶴居村タンチョウと共生するむらづくり推進会議」である。村長を会長に、保護関係者、農業者、商工観光団体、地域団体、村民有志など20名が委員を務め、環境省や北海道がオブザーバーとして加わる。保護のあり方、農業との共生、地域振興、地域住民のかかわり。四つの部会に分かれて議論してきた。
ただし、この会議が今も活発かというと、正直に書かなければならない。村が公表している記録では、発足年度の本会議3回・部会9回に対し、2024年度は本会議1回・部会2回(同年12月時点)にとどまる。会議体は存続しているが、開催の密度は当初より落ちている。合議の場をつくることと、それを回し続けることは、別の労力を要する。
それでも、1952年に一つの小学校で始まった行為が、国の事業になり、いままた村が引き継ぐと表明している。決定権が、遠くから近くへ戻ろうとしている。
湿原に立ち始めたパネル
ところが、守り方をめぐる問いは、餌の話だけでは済まなくなっている。
環境省の分散行動計画には、再生可能エネルギーの導入が急速に進むなか、タンチョウの繁殖地やその周辺に太陽光発電施設を建設する事例が増加している、との一節がある。分散・定着が期待される地域で建設計画を把握した際には、環境アセスメント制度なども活用して事業者に適切な配慮を促す必要がある、と。
この懸念は、鶴居村の隣、釧路市で表面化した。釧路湿原の周辺で大規模太陽光発電所の建設が相次ぎ、資源エネルギー庁の集計では市内で10キロワット以上の施設が600件を超えて稼働している。2025年8月、文化庁は、建設中の施設について、特別天然記念物であるタンチョウなどに影響を及ぼす行為は文化財保護法に抵触し罰則が科される可能性があると事業者に伝えるよう、釧路市教育委員会に求めた。環境省も、希少種の生息が確認されている場所として注視する姿勢を示した。
一方で、事業者の側にも言い分がある。適法に進めてきた事業であり、多大な費用を伴うため、単なる中止要請を受け入れることは難しい、と表明している。脱炭素は、それ自体が環境のための事業である。悪意によって湿原が削られているわけではない。
釧路市は2025年9月に規制条例を成立させ、10月1日に施行した。事業者に市との事前協議を義務づけ、タンチョウやオジロワシなど希少な野生生物5種が生息する可能性の高い区域では、専門家の意見に基づく生息調査と保全計画の作成を求める。廃棄費用の積み立ても課した。2026年には、その廃棄費用について一括して預け入れさせ、市と質権設定契約を結ばせる改正も行われている。
それでも解決には至っていない。条例には罰則がなく、従わない事業者は社名を公表されるにとどまる。適用されるのは2026年1月以降に着工する事業で、それ以前のものには及ばない。2026年に入り、工事の停止を求められた事業者が市への損害賠償請求を検討していると報じられた。市長自身が、条例だけでは難しく、国による法整備の要望を続けると述べている。
70年をかけて人が数を戻した鳥の生息地が、いま別の「環境のため」によって削られようとしている。正義が正義とぶつかるとき、誰がどこまで決められるのか。給餌をめぐる問いと、同じ問いがもう一度、形を変えて現れている。
祈りによせて
33羽が1,900羽になった。この数字だけを見れば、美しい成功譚である。けれど当事者たちが語っているのは、成功のあとに始まった、もっと厄介な仕事のほうだ。餌をやめる。分散させる。被害を分かち合う。土地の使い道を決める。どれも正解が一つに定まらず、誰か一人が決めれば済むものでもない。
それでも希望があるとすれば、決め方のほうにあるのだと思う。国は給餌人の意志に配慮すると書き、村は自分たちで引き継ぐと決めた。市は罰則のない条例をそれでもつくった。いずれも不完全で、途中である。世界のどこであれ、暮らしと自然が触れ合う場所で起きていることは、たぶんこれと似ている。決定権が、その場所に生きる人々の手にどれだけ残っているか。
猛吹雪の日に、畑でうずくまる鳥を見つけた子どもたちがいた。誰かが餌をあげなければ、と考えた大人がいた。その素朴さから始まったものが、いまも形を変えながら続いている。同じことが、いろいろな土地で、いろいろな形で起きますように。
日本の人々のために祈りを捧げる方は、こちらのページへどうぞ。
🕊️ 日本のために祈る — 祈りのワールドツアー
参考・引用元
- 環境省「第5次レッドリスト(鳥類及び爬虫類・両生類)の公表について」(2026年3月17日):env.go.jp
- 環境省 北海道地方環境事務所「タンチョウ生息地分散行動計画(第2.0版)」(2023年10月):hokkaido.env.go.jp
- 日本野鳥の会「環境省レッドリストでタンチョウが絶滅危惧種から脱しました」(2026年3月17日):wbsj.org
- 鶴居村「タンチョウ保護の歴史」:vill.tsurui.lg.jp
- 鶴居村「鶴居村タンチョウと共生するむらづくり推進会議」:vill.tsurui.lg.jp
- 鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ「施設概要・利用案内」:tancho.marimo.jp
- 鶴居村観光「タンチョウ再発見100年の歩み」:tsuruimura.com
- 釧路市「釧路市自然と太陽光発電施設の調和に関する条例」:city.kushiro.lg.jp
- 日本経済新聞「北海道・釧路の太陽光発電規制条例成立 設置許可制に、開発に歯止め」(2025年9月17日):nikkei.com
- 日本経済新聞「釧路湿原メガソーラー、『タンチョウに影響なら罰則も』文化庁が言及」(2025年8月26日):nikkei.com
関連ページ
- 掘り尽くされた湿地に鳥が還るまで:掘り尽くされた大地に、ツルが還ってきた — アイルランド、泥炭地が「炭素の貯蔵庫」へ戻るまで
- 資源の使い方を共同体が決めるという知恵:海に「触れない時間」を贈る — クック諸島、ラウイが育てる豊かな海
- 合意に時間をかけるという選択:壊すことより、話し合うことに時間がかかった — エストニア、150年ぶりに川が自分の速度を取り戻すまで