2025年11月28日、スリランカに、ひと月分をはるかに超える雨が数日のうちに降った。川があふれ、山の斜面が崩れ、全25県が被害を受けた。そのとき、水と一緒にもうひとつ壊れたものがある。情報だった。SNSには助けを求める断片が渦を巻き、誰がどこで何を必要としているのか、誰にもわからなくなっていた。
サイクロン・ディトワがもたらした被害は、スリランカにとって2004年のインド洋津波以来、最も大きなものとなった。国の全25県が影響を受け、被災者は約220万人。人口のおよそ1割にあたる。災害管理センターの集計では、2025年12月29日の時点で646人が亡くなり、173人が行方不明のままだった。ラフバラ大学(英国)などの研究チームは、被害総額を約41億ドル、国内総生産のおよそ4%に相当すると見積もっている。
サイクロン・ディトワ ― 津波以来、最悪の災害
スリランカは、この災害を万全の状態で迎えたわけではなかった。数年前の深刻な経済危機からようやく立ち直りかけていたところに、雨が来た。道路も鉄道も寸断され、通信塔が倒れて何日も電話がつながらない地域が生まれた。家族の安否を確かめられないまま、多くの人が夜を過ごした。
二時間でつくられた、ひとつのフォーム
ランガ・ダヤワンシャという人がいる。ペラデニヤ大学で製造・産業工学を学び、いまはIT企業を経営する技術者だ。事態が深刻化したとき、その人はコロンボ近郊ワッタラで顧客と打ち合わせの最中だった。家族や友人からの電話が次々に鳴り、ようやく何が起きているのかを理解する。
決定的だったのは、その夜だった。SNSを眺めていると、整理されない情報が果てしなく流れてくる。写真、断片的なメッセージ、必死の呼びかけ。「これでは無理だ、と思ったんです」と、その人は独立メディアのグラウンドビューズに語っている。「みんながバラバラの場所から、バラバラの情報を上げている。これで政府や軍や、誰かがどうやって助けられるのか」
そこから先に、計画も会議もなかった。自社の既存プロジェクトのコードを流用し、必要な情報を極限まで削った。誰が、何を必要とし、どこにいるか。それだけ。「危機のさなかに、複雑な仕組みを扱っている余裕なんてない」——だから、誰でも入力できるくらい単純でなければならない。そう考えて、二時間足らずでフォームを公開した。
「せめて一人、助けられればいい。目的はそれだけでした」
最初の反応はゆるやかだった。二、三時間だけ眠って起きると、画面には約200件のSOSが並んでいた。そこに書かれていたのは、1万人以上の人の情報だった。サイトはまだ広く知られてすらいなかった。つくった本人にとって、課題は「道具をつくること」から「人命がかかった大規模な運用を回すこと」へ、一晩で移り変わっていた。
一人の発意が、数千人の運営になる
ここから起きたことのほうが、たぶん重要だ。
サイトが動き出して数時間のうちに、国内の技術者やスタートアップの界隈から次々と連絡が入った。何を手伝えばいいか、と。ボランティアを集めるためのWhatsAppグループができ、国内の企業が回線や人手や技術を差し出した。500人を超える開発者のコミュニティが立ち上がり、機能の改良を続けた。
運用は手作業だった。SOSが入ると、ボランティアが一件ずつ電話をかけて、場所・人数・必要なものを確かめる。確認できたものだけを当局へ渡す。デマや誤情報、加工された動画が流れていた状況で、この「人が電話で裏を取る」という地味な工程が、システムの信頼を支えていた。
「数時間のうちに、何千人もの人が集まってきました。だからこれは、コミュニティの運動になったんです」。創設者はそう振り返っている。
電話も通じない場所へ、三つの言語で
ウェブのフォームだけでは、最も孤立した人には届かない。スマートフォンを持たない人がいる。通信が切れた地域がある。
二人の技術者が、ショートメッセージ(SMS)で指定の番号に送るだけで、その内容がそのままシステムに記録される仕組みを追加した。通信事業者の開発基盤の協力も得た。これで、インターネットにつながらない人からの声も回線に乗るようになった。
そしてボランティアたちは、シンハラ語・タミル語・英語の三言語対応を実装した。この島で、どの言葉で助けを求められるかは、決して小さな問題ではない。誰の声が届き、誰の声が届かないかを分けてきた歴史がある。三言語対応が実際にどこまで機能したかを検証した報告は見当たらないが、緊急のさなかに真っ先にそこへ手が伸びたことは、記録しておく価値があると思う。
公的な回線と、つながる
創設者は、草の根の動きが公的な仕組みとつながらなければ意味がないと考えていた。「全部をひとつの場所に集めなければならなかった」。ボランティアの働きかけで、システムは災害管理センターに接続された。市民が検証したデータを、当局が救助部隊の展開に使う。そういう回路ができた。
11月28日の朝までに、複数のボランティア救援団体、国際機関、退役・現役の軍人までもが同じ画面を見て動くようになっていた。コロンボ県の事務局とも接続され、市民が集めた支援物資の配分にも使われた。
災害管理センターで海軍との連絡役を務めた特殊舟艇部隊の士官は、海軍での勤務を通じてもこれほどの集団的な取り組みは滅多に見たことがなく、この市民の救助システムと迅速な対応が軍の作戦を効率化し、任務の遂行を助けたと語ったと報じられている。
大学生たちも動いていた。災害管理センターの緊急ホットラインでは、コロンボ大学のチームが電話を受け、内容を確かめ、救助のためのデータを入力した。公式の回線が混み合ったときには、自分の携帯電話で折り返した学生もいた。12月3日にはオンラインで引き継ぎの研修が行われ、翌4日からは国防大学の40人が予定していた休暇を返上して交代に入った。
プラットフォーム側は、緊急期を通じて30万人を超える人がこのポータルを通じて助けを求め、500を超えるボランティアや救助チームが登録されたとしている。この数字を独立に検証した報道は見当たらない。ただ、少なくとも国の災害対応の中枢が、市民のつくった仕組みを実務で使ったことは、複数の独立した媒体が報じている。
それでも、救助の大半は隣人の手だった
この出来事を、明るい話としてだけ書くことはできない。
ラフバラ大学の研究チームが災害後にまとめた分析は、いくつもの弱点を指摘している。警報そのものは出ていた。避難も行われた。しかし警報は混乱していて内容に一貫性がなく、限られた言語でしか出されなかった。複数の機関がそれぞれ別々に発信し、人々が信頼して従える「ひとつの声」が存在しなかった。地方自治体の対応能力には限りがあり、多くの集落が何日も孤立した。46の貯水池が溢れ、洪水をさらに悪化させた。予算の多くは災害が起きた後の復旧に向かい、被害を防ぐための投資は不足していた。リスクの高い場所に無計画に住宅が広がっていた。そして偽の動画や誤情報が、混乱に拍車をかけた。
同じ研究は、もうひとつのことを明らかにしている。ディトワのさなかに行われた救助の大半は、公的な救助隊によるものではなく、隣人が隣人を助ける非公式なものだった。
これは、市民の力を証明する数字であると同時に、公的な救助が間に合わなかったことの裏返しでもある。FloodSupport.orgの物語も、同じ構図の中にある。市民が数時間で回線をつくれたことは希望だが、そうせざるをえなかったこともまた事実だ。ボランティアの善意に依存する体制は、その善意が尽きた瞬間に途切れる。
災害は、まだ終わっていない
水が引いても、災害は続いた。2026年3月の時点でも15万人以上が自宅に戻れず、親戚の家や避難所で暮らしていた。
避難所の環境をめぐっては、深刻な報告がある。国際移住機関の調査によれば、避難所にいる女性たちは、共同のトイレや浴室を使わずに済むよう、食べる量と飲む水の量を減らしていた。照明が足りず、混み合った空間が恐怖を生んでいた。学校が長期の避難所になった地域もあり、2026年の試験を控えた生徒たちが、教材を失ったまま学び続けていた。
スリランカ国内には、こうした被害の大きさを「自然災害」という言葉で片づけることへの異議もある。ハザード(自然現象)は自然のものだが、災害はそうではない——どこに住宅を認めるか、排水路をどう保つか、誰が保険に入れるか、誰の元へ警報が届くか。その積み重ねが被害の形を決める、という見方だ。
その後のことは、わからない
正直に書いておきたいことがある。
FloodSupport.orgは現在、一般に向けたアクセスを終了している。サイトには、緊急期に手を挙げてくれたすべての人への感謝が、シンハラ語・タミル語・英語で残されている。緊急期を過ぎたあと、この仕組みがどうなったのか、平時にどう維持されているのか、次の災害に向けて何が引き継がれたのか——それを伝える独立した報道を、記事の執筆時点で見つけることはできなかった。
災害のときに燃え上がった熱が、時間とともに引いていく。それ自体は、どこの国でも起きることだ。尻すぼみに見える、と言われれば、そのとおりかもしれない。
それでも、と思う。あの数日間に、この島の人々は確かに一度、それをやってのけた。ばらばらだった声を一箇所に集め、電話で一件ずつ確かめ、三つの言語で受け取り、軍とも自治体とも国際機関ともつないで動かした。一度できたことは、二度目はもっと早くできる。仕組みは止まっても、それを組み立てた人たちの手と、連絡先と、経験は残る。創設者は「これは商業化しません。コミュニティの取り組みのままにします」と述べていた。その言葉が土台として残るなら、次に何かが起きたとき、ゼロからではなく、そこから始められる。
この試みが、次に誰かの役に立つことを願う。
祈りによせて
一人の人が、真夜中に、二時間で何かをつくった。それだけなら、よくある話かもしれない。この出来事が忘れがたいのは、そのあとに起きたことのほうだ。つくった人が抱え込まずに手放し、何千人もの人がそれぞれの場所から手を差し入れて、いつのまにか誰か一人のものではなくなっていった。助けを求める側と助ける側が、同じ画面の上で入れ替わり続けた。
誰かが全部を背負うのではなく、意思をできるだけ多くの人に分け持ってもらうこと。祈るという行為も、どこか似ているのかもしれません。一人の心の中で完結せず、遠くの誰かの無事を思う気持ちが、静かに手渡されていく。646人の命が失われ、いまも家に帰れない人がいるこの島に、どうか穏やかな季節が訪れますように。そして、あの数日に差し出された無数の手が、次に何かが起きたときの支えとして残りますように。
スリランカの人々のために祈りを捧げる方は、こちらのページへどうぞ。
🕊️ スリランカのために祈る — 祈りのワールドツアー
参考・引用元
- Groundviews「Addressing the Information Chaos of Cyclone Ditwah」(2025年12月11日):groundviews.org
- Groundviews「The Power of Community in Post Cyclone Self Mobilisation Efforts」(2025年12月4日):groundviews.org
- Newswire「When the floods hit, Sri Lanka's youth became a lifeline for families in distress」(2025年12月9日):newswire.lk
- Loughborough University「Weakness in Sri Lanka's planning led to increased damage after Cyclone Ditwah, research finds」(2026年2月5日):lboro.ac.uk
- OCHA「Sri Lanka: Cyclone Ditwah - Situation Report No. 09」(2026年3月6日):unocha.org
- Groundviews「Challenges for Women During Ditwah Displacement」(2026年3月18日):groundviews.org
- Groundviews「What Cyclone Ditwah Reveals About Inequality in Sri Lanka」(2026年3月8日):groundviews.org
- FloodSupport.org 公式サイト:floodsupport.org
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