地中海に面したチュニジアの港町スース。ここで生まれた小さな医療技術スタートアップが、世界中の子どもたちの暮らしを変えようとしている。手や腕に「違い」を持って生まれた子どもに向けて、3Dプリンターで作る軽くて、既存品より大幅に安い筋電義手——その開発を率いるのは、地元出身の若きエンジニアだ。義手の指は、子どもの腕の筋肉の動きを読み取って、本物の手のように曲がる。
8歳の子に届かなかった義手
世界には手足に違いを持つ人が約3,000万人いるとされる。だが、そのうち義肢を手にできるのはわずか5%ほどにすぎない。高度な義手は1本10万ドルを超えることもあり、しかも子どもは成長とともに何度も作り替えなければならない。21歳までに平均10本が必要になるという試算もある。多くの家庭にとって、それは手の届かない数字だ。
この事業の出発点は、スースの国立工科大学での学生プロジェクトだった。チームの一人が、生まれつき手に違いを持つ親戚の話を語った。費用が高く、地域で入手も難しかったため、その人が義手を得られたのは20歳になってからだったという。創業者のモハメド・ダウアフィ氏は市場調査で訪れた病院で、感電事故により手と脚を失った8歳の子どもと出会う。「自分はこの子の人生を何も変えられない」——その無力感が、会社を立ち上げる決意につながった。多くの同級生がより高い給与を求めて国外へ出るなか、同氏は祖国の地で挑むことを選んだ。
「ハンニバル」と名づけられた手
Cure Bionicsの主力製品である筋電義手は、カルタゴの名将にちなんで「ハンニバル」と名づけられている。回転する手首、成長に合わせて調整できるソケット、磁気充電、そして触覚に近い感覚を返すセンサーを備える。皮膚に貼ったセンサーが腕の筋肉の微弱な電気信号をとらえ、AIを使ったソフトウェアがそれを解釈して指に指令を送る——外科手術は要らない。部品はレゴのように交換でき、壊れたところだけ、あるいは体の成長に合わせた部分だけを差し替えられる。3Dプリントで一人ひとりに合わせて作るため軽く、まるで「スーパーヒーローの装い」のように、自分らしく彩ることもできる。
もう一つの工夫が、リハビリを楽しくする「MyoRehab」と呼ばれる仕組みだ。従来、子どものリハビリでは「もう無い手で瓶のふたを開けるふりをして」と促す。直感的でなく、退屈で、筋肉を動かせるようになるまで時間がかかる。Cure Bionicsはこれをゲームに変えた。子どもはスパイダーマンのようにビルをよじ登り、得点を競いながら筋肉の使い方を覚えていく。医師は離れた場所からオンラインで進み具合を確認できる。
製造期間は1週間ほど。従来の数か月に比べて格段に速い。価格は約8,000ドルとされ、最大5万ドルにもなる高機能義肢の数分の一、輸入品と比べても半分ほどに抑えられている。チュニス大学医学部の専門家は、製品の品質と国際基準への適合を挙げ、チュニジアとアフリカにとって大きな成果だと評している。創業以来、自己資金とイノベーション賞の賞金などで投じてきた額は約30万ドルにのぼる。
もっとも、この「安さ」はあくまで既存の高機能義肢と比べての話だ。チュニジアの平均月収は約380ドルとされ、8,000ドルは普通の家庭が自費だけで負担できる額ではない。Cure Bionicsもそれを承知のうえで、保険適用や慈善団体・支援者との連携によって、家庭が実際に支払う金額をさらに下げることを次の目標に掲げている。技術で価格を下げ、仕組みで負担を分かち合う——その両輪をどう回すかが、これからの課題となる。
その歩みは外でも認められつつある。2025年11月、Cure Bionicsは、米ニューヨーク拠点の医療イノベーション団体Cureとカタール投資庁などが組む「Cure by Deerfield 中東医療アクセラレーター」の第1期15社に選ばれた。100件を超える応募からの選出で、2026年2月にはドーハで開かれるWeb Summit Qatarに合わせ、世界の投資家や政策担当者の前で成果を披露する予定だ。アフリカと中東への展開を本格的に視野に入れる段階に入っている。
価格だけが壁だったわけではない。チュニジアでは部品をオンラインで調達することすら難しく、医療機器に必要な認証の取得や資金確保など、行政的・制度的な壁が幾重にも立ちはだかってきた。事業を世界規模に広げるための投資家探しも続いており、夢の実現はまだ途上にある。それでも創業者は、国を出ずに祖国で挑み続けた日々を「ポジティブな意趣返し」と振り返る。「自分にもできると証明したかった。そして、人々の暮らしを変える何かを遺したい」と。
祈りによせて
手の「違い」は、その子の弱さではありません。Cure Bionicsが掲げる言葉に「あなたの手の違いは、あなたの超能力だ」というものがあります。失われたものを嘆くのではなく、その人がその人らしく生きる力を、技術がそっと後押しする——義手を彩り、ゲームで笑いながらリハビリに励む子どもたちの姿は、そのことを静かに教えてくれます。遠い国の港町で生まれた一つの工夫が、名前も知らない誰かの朝を少し軽くする。世界のどこかで「自分にもできるはずだ」と信じて手を動かし続ける人すべてに、そして新しい手で初めて何かをつかむ子どもたちの小さな指先に、祝福が届きますように。
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参考・引用元
- MENA Startup Digest「Tunisia's Cure Bionics is Revolutionizing the Prosthetics Industry with AI」(2025年8月)
https://menastartupdigest.com/tunisias-cure-bionics-is-revolutionizing-the-prosthetics-industry-with-ai/ - PR Newswire「Cure by Deerfield Middle East Health Accelerator Selects 15 Startups for Inaugural Cohort」(2025年11月)
https://www.prnewswire.com/news-releases/cure-by-deerfield-middle-east-health-accelerator-selects-15-startups-for-inaugural-cohort-302606681.html - MIT Technology Review「Mohamed Dhaouafi(Innovators Under 35)」
https://www.technologyreview.com/innovator/mohamed-dhaouafi/ - Africanews「Tunisian Startup Develops a Customisable Bionic Hand Device」
https://www.africanews.com/2020/11/03/tunisian-startup-develops-a-customisable-bionic-hand-device/ - Cure Bionics 公式情報(LinkedIn 企業ページ)
https://www.linkedin.com/company/curebionics