2026年3月、静岡県の浜名湖で、漁業者以外の人がアサリを採ることが1年間、通年で禁止されました。かつて春から夏にかけて観光客でにぎわった潮干狩りは、すでに長く中止が続いていました。前年2025年の浜名湖のアサリ漁獲量は、ゼロです。
ほぼ同じころ、同じ湖のアマモ場(海草の藻場)の再生活動が、CO2吸収量639.9トン分の「Jブルークレジット」として認証・発行されました。湖のニュースとしては、明るい話題です。
この記事は、二つの出来事のあいだの距離を確かめるところから始め、崩れた湖の営みを小さな手でつなぎ直そうとしている漁業者たちの取り組みを紹介します。
639.9トンという数字が示すもの、示さないもの
Jブルークレジットは、藻場や干潟などの海の生態系が吸収・貯留するCO2(ブルーカーボン)を、ジャパンブルーエコノミー技術研究組合(JBE)が審査・認証し、企業などが購入できるようにする仕組みです。浜名湖の案件は浜名漁業協同組合によるもので、2025年12月の審査認証委員会で審議されました。
まず押さえておきたいのは、この639.9トンが湖で直接測った値ではないということです。委員会の議事概要によれば、審査は主に「面積の確実性」と「吸収係数の確実性」について行われます。つまり、藻場の広さに、単位面積あたりの吸収量の係数を掛けて求めた算定値です。
もう一つ、浜名湖の案件の認証は「条件付」でした。委員会は、湖に生えるもう一つの海草であるコアマモの繁茂状態が変わらなければ可、減少・消滅した場合は再審議が必要、と記録しています。アマモが増えた分だけ別の海草が減っていないか、という確認が付いたことになります。
そして最も大切なのは、639.9トンがアサリの回復とは別の物差しだということです。アマモ場が広がったことは湖にとって意味のある変化ですが、アサリが戻ったことを意味しません。
6,000トンからゼロへ ― 一度は戻した湖
浜名湖は周囲約128km、平均水深5mほどの汽水湖で、全国有数のアサリの産地でした。静岡県の研究者の論文によれば、漁獲量は1980年前後の約9,000トンを頂点に減り、1999年には2,186トンまで落ち込みます。
ここで湖は、一度立ち直っています。1990年代の調査では、湖南部の漁場が消え、巻貝のツメタガイによる食害が広がっていることが突き止められていました。その後、漁業者たちが中心となって、操業時間や休漁日、1日1人あたりの漁獲量の上限を守り、漁獲サイズを引き上げ、ツメタガイを駆除し、湧いた稚貝を禁漁区へ移すといった対策が進められました。
2007年春には、湖南部で大量に見つかった稚貝約280万個(6.1トン)を、漁業者たちが早朝の作業で禁漁区へ移しています。翌年2月の解禁までの生き残りは97.7%。論文は、経費に対して約12倍の漁獲金額に相当する効果があったと推定しています。前年の大量漁獲による値崩れを反省し、1日の上限は110kgから66kgに下げられていました。量を抑えて、資源と価格を同時に守ったのです。県の研究資料によれば、2009年の漁獲量は6,008トンに達しています。
その後、湖は再び崩れていきます。県の統計では、2014年に15億円あった貝類の漁獲金額は減少を続けました。2014〜2023年の平均で年約1,450トンあったアサリの漁獲量は、2023年に約363トン、2024年に0.18トン、2025年にはゼロになりました。
稚貝は湧く。けれど夏を越せない
かつて漁業者たちは「アサリが湧く」と言いました。今回の崩落が1990年代と違うのは、その「湧く」を支えていた循環そのものが弱っていることです。
静岡県水産・海洋技術研究所が2026年に公表した報告によると、2024年に湖の中心部で観測されたアサリの浮遊幼生(卵からかえって水中を漂う時期の幼生)の密度の最高値は、漁獲量が3,841トンあった2004年の最高値の0.71%にまで減っていました。親となるアサリが少なければ、生まれる幼生も少なくなります。
一方で、稚貝がまったくいないわけではありません。同じ報告では、湖岸の5つの地点で、冬から春にかけて1平方メートルあたり数百〜1,500個を超える稚貝が見つかっています。ところが夏から秋にかけて数は急に減り、8月から10月には5地点のすべてで、稚貝はほとんど見られなくなりました。
稚貝は湧く。けれど夏を越せず、親になれない。親が少ないので、幼生も少ない。湖の再生産の循環が、途中で切れているのです。
隣の三河湾(愛知県)でも、2014年以降は浮遊幼生の密度が2000年代より1桁ほど低く、しかも漁獲が落ち込む前から幼生が減っていたことが、愛知県水産試験場の研究で示されています。研究者は、回復には漁場環境の改善とともに、親貝を守って幼生を増やすことが重要だと結論づけました。湾と湖では条件が違いますが、隣り合う二つの海で同じ時期に似た変化が起きています。
なぜ戻らないのか ― 一つには絞れない理由
原因として挙げられているものは、いくつもあります。
一つは水温と餌です。県の研究所が湖内の定点観測50年分を分析したところ、1990年代以降は湖全域で水温が上昇傾向にありました。別の県の研究では、アサリの餌の量の目安となるクロロフィルaの濃度が、2001〜2002年に比べて2021〜2022年は春から秋にかけて減り、産卵期にあたる秋の水温がとりわけ上がっていました。餌が減り、成熟に適さない水温になったことで、産卵そのものが減っている可能性が指摘されています。
その餌の背景にあるのが、湖の栄養です。中日新聞が県の水質データ31年分を分析した2021年の記事によれば、湖内のリンと窒素の濃度は、下水道の普及などで過去30年にいずれも半分ほどに下がりました。湖の汚れが減ったのは長年の努力の成果ですが、リンや窒素は植物プランクトンの栄養でもあります。県の研究員は広報誌で、川から流れ込む無機態のリンの減少が植物プランクトンの減少に影響している可能性が高いとし、背景に上流の佐鳴湖の浄化や流域のウナギ養殖池の減少を挙げたうえで、「一朝一夕に解決できるものではない」と書いています。
ただし、この記事に添えられた県のデータを見ると、2009年の豊漁期にも、湖の栄養はすでに現在とあまり変わらない水準まで下がっていました。栄養の不足だけで今回の崩落を説明することはできません。同じ中日新聞の記事で、当時の県の分場長も、因果関係は「はっきりしない」と慎重に語っています。
そして、クロダイによる食害です。県の研究では、漁場でアサリの密度が減る月と、クロダイがアサリを食べる数が増える月が重なり、秋の産卵期を迎える前にアサリが消えていました。稚貝が夏を越せない理由の、少なくとも一つはここにありそうです。
水温、栄養、食害。どれも一つだけでは説明しきれず、それぞれがどれほど効いているのかは、まだ分かっていません。湖の変化は、わかりやすい一本の因果を許してくれません。
産ませてから、獲る ― 浜名湖垂下あさり研究会
そうしたなかで、2023年度、有志の採貝漁業者たちが「浜名湖垂下あさり研究会」を立ち上げました。以下は、活動を支援する側である県の研究所の報告に基づいています。
研究会は、湖の中に動物よけのネットや金網でつくった被覆網を張り、クロダイなどの食害から天然の稚貝を守って、成貝になるまで時間をかけて育てます。育った貝は、すぐには出荷しません。産卵を終えたあと、カキ養殖用のかごに軽石と一緒に入れて湖に吊るし(垂下)、身が詰まるのを待ってから水揚げします。
稚貝が夏を越せないなら、網で守って越させる。親が少なく幼生が少ないなら、守り育てた親に産ませてから獲る。データが示す二つの切れ目に、漁業者たちはそれぞれ手を当てています。
吊るす場所は、湖の東側に入り込んだ庄内湖にあるカキ養殖の区画です。カキ養殖業者と話し合い、場所を分け合って確保しました。2024年度は、育てる面積を前年の310平方メートルから543平方メートルに広げています。販売は、メンバーがそれぞれ地元の仲買業者に売る形に改めました。商品には「浜名湖垂下 恵比寿あさり」と名前をつけ、ロゴには「吊して育てる」の言葉を添えています。
クロダイについても、別の工夫が始まりました。湖の袋網には、全長15cmほどまでの小さなクロダイがまとまってかかることがあります。食材として扱いにくく値がつかないため、これまでは水揚げのときに除かれていました。県の提案を受け、2024年秋、浜松市動物園がこの小型のクロダイを動物の餌として買い取ることになり、漁業者が獲り、仲買業者が買い付けて動物園に届ける流れができました。最初の年の量は約100kg。値のつかなかった魚に値がつくことで、獲る理由が生まれます。
これに先立ち、県が漁業者とともに湖内9か所に設置した被覆網では、6か所で半年後の生き残りが67〜100%になり、親貝を確保できる見通しが得られています。県は2025年度から、吊るして育てた親に産ませた幼生がどこへ流れ、どこに着底するのかを、遺伝子の解析と幼生の輸送モデルで突き止める研究も始めました。産ませた命の行き先を確かめようとしているのです。
小さな手の、小さな数字
ここで、数字を正直に並べておきます。2024年度、研究会が吊るして育てたアサリの水揚げは43.0kgでした。かつて年に6,000トンを獲った湖の、およそ14万分の1です。垂下アサリは身入りのよさで付加価値をつける取り組みで、湖の漁業全体を支える規模にはまだ遠く及びません。
県は2023年の時点で、2025年までに漁獲量を2,000トン以上に戻すことを目標に掲げていました。現実の2025年はゼロでした。研究会の取り組みが、湖全体の幼生を増やすほどの親貝を生み出せるのかどうかも、まだ分かりません。稚貝が夏に消える理由も、栄養と水温と食害がそれぞれどれほど効いているのかも、解き明かされてはいません。アマモ場の再生とブルークレジットも、アサリの回復にどうつながるのかは見えていません。
それでも、この湖の漁業者たちは、一度自分たちの手で湖を立て直したことがあります。量を抑え、稚貝を移し、ツメタガイを駆除した。その方法が効かなくなった湖で、いま彼らは網を張り、産ませてから獲るという、別の手を試しています。
祈りによせて
アサリは、稚貝から獲れる大きさに育つまでに1年以上かかります。その貝が産んだ幼生が湖に広がり、また稚貝となって戻ってくるまでには、さらに時間がかかります。湖の回復は、1年ごとの帳簿では測れない時間の上に成り立っています。
639.9トンという数字は、世の中にわかりやすく届きます。43kgという数字は、ほとんど誰にも届きません。けれども、湖の循環をつなぎ直そうとしているのは、網の下で夏を越し、湖に次の世代を産み落とした、その小さな貝たちのほうかもしれません。
成果が見えるよりずっと長い時間の層で、手を動かし続ける人たちがいます。浜名湖の水が、ふたたびアサリを育む湖へと還っていきますように。そして、その日を信じて網を張る人たちの営みが、途切れることなく続いていきますように。
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日本が平和でありますように
参考・引用元
- 静岡県水産・海洋技術研究所「2024年度 事業報告」(2026年):fish-exp.pref.shizuoka.jp
- 静岡県水産・海洋技術研究所「浜名湖のアサリ漁業の再生に向けた資源増殖研究」(試験研究課題解説、2023年4月):fish-exp.pref.shizuoka.jp
- 静岡県水産・海洋技術研究所「浜名湖のアサリ資源増加に向けた実証実験と増殖手法の開発」(試験研究課題解説、2026年4月):fish-exp.pref.shizuoka.jp
- 静岡県水産・海洋技術研究所浜名湖分場 広報誌「はまな」587号(2024年11月、水温・窒素とリンの分析):fish-exp.pref.shizuoka.jp
- 同「はまな」588号(2025年3月、令和6年の浜名湖漁獲統計):fish-exp.pref.shizuoka.jp
- 同「はまな」591号(2026年3月、2025年の浜名湖漁獲統計・アサリ資源研究):fish-exp.pref.shizuoka.jp
- 鈴木邦弘「2007年の浜名湖南部におけるアサリ稚貝の移植効果」静岡県水産・海洋技術研究所研究報告第54号(2021年)
- 水産研究・教育機構「浜名湖のアサリ資源減少実態の把握」(平成14年度研究成果):fra.go.jp
- 愛知県水産試験場「三河湾におけるアサリ資源の減少に伴う浮遊幼生発生状況の変化」(2022年度 水産研究成果情報)
- 中日新聞しずおかWeb「浜名湖のリン、窒素半減 水質浄化も漁獲減少」(2021年2月24日)
- ジャパンブルーエコノミー技術研究組合「Jブルークレジット審査認証委員会(令和7年度第3回)議事概要」(2025年12月):blueeconomy.jp
- ジャパンブルーエコノミー技術研究組合「Jブルークレジット クレジット管理簿」(2026年3月23日現在):blueeconomy.jp
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