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「忍耐」という名の糸で — モンテネグロ、最後のひとりから50人へ受け継がれたレース

2026年6月8日

アドリア海の奥、切り立った山々に抱かれたコトル湾。その湾沿いの町ドブロタに、何世紀も女性たちの手から手へ受け継がれてきた繊細なレース編みの伝統がある。船乗りの妻たちが、祭礼の頭巾や祭壇布、婚礼のベールを一針ずつ編んできた手仕事だ。だが21世紀の初め、その技を受け継ぐ人は、ほとんどいなくなっていた。モンテネグロ文化省が「最後の継承者」と認めたのは、1937年生まれの女性、ただ一人だった。

レース生地
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教会の宝物庫に、かろうじて残っていた技

ドブロタのレースの歴史は古い。この地域の刺繍は14世紀にさかのぼり、16世紀には、ヴェネツィアの「プント・イン・アリア(空中の縫い目)」と呼ばれる技法を地域独自に解釈したレースとして花開いた。海を渡って伝わった技が、この土地の暮らしに根を下ろしたのだ。レースは儀礼用の頭巾や寡婦の頭巾、祭壇を覆う布、婚礼のベールとして、家庭にも信仰にも海の暮らしにも織り込まれていた。聖エウスタキウス教会には今もその作例が残り、船乗りの家系に伝わる家宝の中にもしまわれている。

けれど時代が下るにつれ、針を動かす手は減っていった。やがてドブロタのレースは、私的なコレクションと教会の宝物庫の中だけに、かろうじて生き延びる存在になってしまった。何世代もの女性たちの創意と手わざの証が、静かに途絶えようとしていた。

「忍耐」という名のプロジェクト

2021年、コトル博物館がこの危機に動いた。歴史研究と実地の講習を組み合わせたプロジェクト「Pacijenca(パツィイェンツァ)」の始動である。翌2022年から、あの「最後の継承者」と博物館の専門家が手を取り合い、講習が始まった。受講は無料で、コトルとその周辺に住む人なら誰でも参加できた。そして3年のうちに、年齢もさまざまな50人以上の女性が、この技を自らの手に宿した。学校の子どもたちも招かれて見学し、針を持った。多くの生徒にとって、ニードルレースとの初めての出会いだった。

プロジェクトの名「パツィイェンツァ」とは、ボカ地方の言葉で「忍耐」を意味する。それはレース編みのゆっくりとした精緻さを指すと同時に、嵐の海とともに生きてきたこの地の人々の粘り強さ、そして海へ出た夫を待ち続けた女性たちの時間をも指している。一針ごとに時間を要するこの手仕事は、何もかもが速さを競うデジタルの時代に、あえて「忍耐」という価値を人としても文化としても掲げてみせた。コトルの広場には、縦長に掲げられたレースとともに実演の場が設けられ、毎年数百人が足を止めた。参加した女性たちは、海を挟んだクロアチアのレース祭りにモンテネグロ代表として赴き、アドリア海に広がる共通の伝統と再びつながった。

この3年間、プロジェクトが使った予算は総額でおよそ1万5千ユーロ。その大半をコトル博物館が担い、文化省の拠出はわずかだった。決して潤沢ではない。それでも、博物館は歴史的なモチーフに着想を得たレースの土産物を生み出し、それがバルカン半島を代表する文化土産のひとつとして評価され、得られた収入が次の講習を支える循環を生んだ。技を守り、女性たちに収入をもたらし、土地の誇りをよみがえらせる——小さなプロジェクトが、その三つを同時に成し遂げつつある。

小さな町の伝統が、ヨーロッパへ

2026年、この取り組みは欧州遺産賞(ヨーロッパ・ノストラ賞)に選ばれた。賞はキプロスのニコシアで、コトル博物館のドゥシツァ・イヴェティッチ館長へと授与された。モンテネグロのプロジェクトがこの賞を受けるのは、実に25年ぶり、過去四半世紀で初めてのことだった。ささやかな地域の手仕事が、確かに欧州的な、そして普遍的な意義を持ちうることが証明された瞬間だった。審査員は、家庭の中だけにあった手仕事を「共有される文化のいとなみ」へと変え、女性の経済的な自立を支えたことを讃えている。

受賞は、打ち上げ花火では終わらなかった。むしろそこから活動は根を広げている。講習は、受講者が技法を体系的に学べる継続的な教育プログラムへと組み直され、いわば「ドブロタ・レースの非公式の学校」として地域に定着した。さらに2026年3月には、旧市街の聖パウロ教会を会場に、コトル博物館の主催で「第1回国際レース・フェスティバル」が幕を開けた。それは「博物館は分断された世界を結ぶ」という今年の国際博物館の日のテーマに沿うもので、博物館を、人と人が出会い、対話し、地域がつながり直す場として位置づける試みでもあった。一本の針と糸から始まった営みが、国境を越えて人を招き寄せる輪へと育ちつつある。

速さではなく、続けることで

もちろん、課題がないわけではない。伝統工芸が「土産物」として商品になるとき、その真正さをどう保つのか、観光のまなざしに技がやせ細らないか——そうした問いは、世界中の手仕事の復活が共通して抱えるものだ。けれどドブロタの場合、土産物がもたらす収入は外部の誰かの利益ではなく、次に編む人を育てる原資として地域に還っている。その循環がある限り、技は人の手の中で生き続ける。

祈りによせて

ひとりの手の中にだけ残っていた技が、いま50人の指先で息づいている。それは派手な出来事ではない。広場の片隅で、白い糸が一針ずつ結ばれていく、静かな営みだ。けれど思えば、世界の平和もまた、こうした「続けること」の積み重ねでできているのかもしれない。速さを誇るのではなく、隣に座って一緒に針を動かし、次の世代へ、そして海の向こうの人へと手渡していく。「分断された世界を結ぶ」とは、案外そういうことなのだろう。「忍耐」という名のレースは、急がない時間の中にこそ、人と人をつなぐ確かな力があることを、そっと教えてくれる。

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参考・引用元

  • European Heritage Awards / Europa Nostra Awards「Safeguarding the Dobrota Lace Tradition – Pacijenca Project」(2026年4月21日):europeanheritageawards.eu
  • Europa Nostra「Winners of Europe's top heritage awards 2026」(2026年5月1日):europanostra.org
  • Dan「Stara vještina za novo doba」(2026年3月、受賞後の学校化・国際レース祭):dan.co.me
  • Novi list「Otvorena izložba naziva »Pacijenca«」(2025年2月、クロアチア・リエカ展):novilist.hr
  • コトル博物館(Museums of Kotor)公式:muzejikotor.me

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