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ベトナム 環境

8万本の苗木と、23世帯の手 ― ベトナム・カマウ省で進むマングローブと暮らしの再生

2026年5月12日

東南アジアの大河、メコン川。インドシナ半島を縦断し、ベトナム南端で大きなデルタを形成して南シナ海へと注ぎ込みます。河口にひろがる広大な湿地帯では、何千年にもわたって人々が漁をし、エビを養殖し、海と共に暮らしてきました。けれども近年、その海辺の景色が大きく変わりつつあります。海面上昇、海岸侵食、そしてマングローブ林の急激な喪失。失われた海辺を取り戻そうと、国際機関、企業、政府、そして地元の23世帯が手を組み、静かに動き出しています。

消えゆく緑のベルト ― 50年で半減したマングローブ

ベトナム南端のカマウ省は、メコンデルタの最果てに位置します。豊かなマングローブ林に囲まれた湿地帯で、人々はエビ養殖を中心に暮らしを立ててきました。マングローブの根が複雑に絡み合う海辺は、嵐から村を守る「生きた防波堤」であり、無数の魚やエビの子どもたちが育つゆりかごでもあります。

しかし数字は厳しい現実を示しています。メコンデルタのマングローブ面積は、1973年の約185,800ヘクタールから2020年には102,160ヘクタールへ。およそ半世紀で半減しました。原因の最大要因は、皮肉なことにエビ養殖場の拡大です。研究によれば、ベトナム全土のマングローブ消失の約43%が水産養殖の拡大に、約25%が農業の拡大によるものとされています。海面上昇や海岸侵食といった自然要因に加え、人々が暮らしを得るために自ら森を切り開いてきた、その積み重ねがマングローブの危機を作り出してきたのです。

マングローブを失った海辺は、台風や高潮の直撃を受けやすく、海水の侵入で土壌が塩害を受け、養殖の生産性も落ち込んでいきます。生態系の崩壊が、そのまま人々の暮らしを揺るがし始めたのです。「森を切り開いて得た繁栄が、いま自分たちの首を絞めている」。これがメコンデルタが直面している現実です。

多層的なパートナーシップが生まれる

こうした危機に対して、2023年10月、新たなプロジェクトが立ち上がりました。プロジェクト名は「Scaling up NbS through mangrove restoration in Ca Mau Province」― 自然に基づく解決策(Nature-based Solutions、NbS)を、マングローブ再生を通して広げていくという2023〜2027年の取り組みです。16万本の苗木を植え、エビ養殖と森の共存を実現する。それが目標です。

このプロジェクトの面白いところは、関係するステークホルダーの多様性にあります。一つの大組織が主導するのではなく、それぞれの強みを持ち寄る「多層的なパートナーシップ」として設計されているのです。

技術と知見を提供するのは、国際自然保護連合(IUCN)。1948年に設立された世界最大規模の環境ネットワークで、マングローブ再生の科学的な知見と実践のベストプラクティスを、プロジェクト全体に注いでいます。地域コミュニティの参加を促す進め方も、IUCNが長年培ってきたNbS手法の核心部分です。

資金を支えるのは、二つの組織です。一つは韓国の現代自動車(Hyundai Motor Company、HMC)。同社が2016年から地球規模で展開するCSR活動「IONIQ Forest」は、世界で100万本の植林を目標に掲げており、カマウ省はその重要な実施地のひとつです。もう一つは、Good Neighbors International(GNI)。1991年に韓国で創設された国際NGOで、世界40か国以上で人道支援と地域開発に取り組んでいます。

行政と現場の調整を担うのは、ベトナム農業環境局(DAE)と、その傘下の特別用途・沿岸保護林管理委員会。省レベルの土地利用計画との整合を保ちつつ、現場のオペレーションを統括しています。

そして、このすべての中心にいるのが、カマウ省ホアビン地区の23世帯。植林の主体であり、植えた後の手入れ・保護・モニタリングまで担う、プロジェクトの実質的な主役です。

2025年夏、8万本の苗木が植えられた

2025年6月29日から7月15日までのわずか2週間あまり、ホアビン地区で大きな動きがありました。18ヘクタールの土地に、8万本ものマングローブの苗木が植えられたのです。エビ養殖池の脇、海岸侵食の危機にある沿岸保護林。植えられた場所は、まさに「自然と暮らしの境界線」でした。

残りの8万本は、2026年内に植えられる予定です。23世帯の住民たちは、苗床から植林地への運搬、植え付け、そしてその後の手入れまで、すべての工程に関わります。慣れ親しんだ海辺で、自分たちの手で森を育て直していく。それは単なる環境保護活動ではなく、自分たちの未来を自分たちで守るための営みでもあります。

選ばれた樹種は、リゾフォラ・ムクロナタ(Rhizophora mucronata)。地元では「Đưng(ドゥン)」と呼ばれる、汽水域に強いマングローブです。複雑に張り巡らされた支柱根が、土砂を捕らえ、海岸線を安定させてくれる。気候変動の最前線で、植物の生命力に静かに頼る試みです。

成功を支える四つの柱

ベトナムでのマングローブ再生プロジェクトは数多くありますが、失敗例も少なくありません。研究者たちは、成功するプロジェクトに共通する要因を分析しています。それを踏まえると、カマウ省の現プロジェクトには、成功条件の多くが揃っています。

第一の柱は、地域住民の所有意識(オーナーシップ)です。プロジェクトを「外部からやってきた誰かのもの」ではなく「自分たちのもの」と感じられるかどうかが、長期の成否を分けます。カマウ省のプロジェクトでは、23世帯が植林だけでなく苗木の調達・手入れ・モニタリングまで担い、文字通り「自分たちで育てる森」になっています。

第二の柱は、経済的インセンティブ。マングローブを「守るだけの存在」ではなく、「守ることで暮らしが良くなる仕組み」をどう作るか。カマウ省の養殖モデルでは、マングローブ被覆率を50%以上に保つことで、エビが国際的なオーガニック認証を取得でき、通常より20〜30%高い価格で売れるようになります。実際、別のIUCN関連プロジェクト「Mangroves and Markets」では、3,200世帯以上が認証を取得し、世界的なシーフード輸出企業のミンフー社から価格プレミアムを受け取ってきました。

第三の柱は、適切な技術と立地選定。マングローブは植えればどこでも育つ訳ではありません。土砂供給量、潮汐の流れ、土壌の塩分濃度などを丁寧に評価し、適した樹種を適した場所に植える必要があります。IUCNの専門家が技術指導を担うことで、この科学的な側面が担保されています。

第四の柱は、長期的な政策フレームワーク。ベトナム政府は2021〜2030年の国家プログラム「気候変動への対応とグリーン成長を促進する沿岸森林の保護・開発に関する国家プログラム」を策定し、マングローブ再生を国家戦略として位置づけています。さらに2010年から「森林環境サービスへの支払い(PFES)」制度を導入し、森林を守る農家への経済的支援を制度化しています。国際プロジェクトと国家政策が噛み合うことで、現場の取り組みが持続可能になっていく道筋が見えてきます。

2026年、新たな広がり ― 21農場の転換

カマウ省のマングローブ再生の取り組みは、2026年に入ってさらに新しい段階へと進んでいます。IUCNはコカ・コーラ財団(The Coca-Cola Foundation)の資金支援を受けた新プロジェクト「Increasing Coastal Resilience in the Mekong Delta through Mangrove Restoration and Hybrid Nature-based Solutions」(2024〜2026年)を、カントー市とカマウ省で展開しています。

この新プロジェクトの特徴は、マングローブ再生に加えて、エビ養殖そのものを「統合多栄養段階循環式養殖システム(IMTA-RAS)」と呼ばれる先進的な手法に転換していくことにあります。広大な池での粗放型養殖と比べて、IMTA-RASは同じ面積で20倍のエビを生産でき、病気のリスクも大幅に低い。地下水のくみ上げが減るため、年2.5センチという深刻な地盤沈下も抑制できると期待されています。

2025年11月時点で、45世帯・135ヘクタールを対象としたパイロットのうち、21農場がすでにIMTA-RASへの転換とマングローブ再生を組み合わせた新モデルへの移行を完了しました。さらに2025年12月の知識共有イベントでは、ベトナム農業農村開発銀行(Agribank)が、こうした持続可能な養殖モデルへの転換農家に対して、無担保で最大3億ベトナムドンの優遇融資を提供できると表明しています。資金面でのハードルも、少しずつ下がり始めています。

もちろん課題も残ります。エビ需要は今後も世界的に増え続ける見込みで、新たな養殖場開発によるマングローブ伐採の圧力は消えません。「守る」と「広げる」の綱引きは、これからも続いていきます。それでも、マングローブと共存する養殖が経済的に成立する仕組みが整っていけば、流れは少しずつ変わっていくはずです。

祈りは、海辺の小さな森とともに

カマウ省は、ベトナム本土の最南端。ここから先は、果てしない南シナ海が広がります。地球の片隅とも呼べるような場所で、地元の人々が黙々と苗木を植えていく光景は、派手なニュースになることはありません。しかし、そうした営みこそが、地球規模の気候変動という大きな波に対する、確かな一手なのだと思います。

世界の平和を願うとき、私たちは人と人との対立や、国と国との争いを思い浮かべがちです。けれども、人と自然の和解もまた、平和の重要な一形態であるはずです。海が穏やかであること、森が豊かであること、暮らしが続いていくこと。それらは、人々の心の平穏とも、深いところで結ばれています。

国際機関、企業、政府、地元の人々、そして金融機関。立場の違う者たちが、それぞれの強みを持ち寄ってひとつの森を育てていく。そうした連携こそが、これからの世界に必要な希望の形なのかもしれません。メコンデルタの海辺で、小さな苗木たちが今日もゆっくりと根を伸ばしています。50年後、100年後、その森がベトナムの子どもたちを嵐から守り、エビ池に命の循環を取り戻していく日を信じて、人々は静かに動いています。遠くから、その営みに祈りを重ねたいと思います。

参考・引用

ベトナムが平和でありますように

関連リンク:ベトナムの平和を祈りましょう

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