インドネシア・ボルネオ島の奥地、東カリマンタン州にメリンタン湖という大きな湖があります。その湖の上に、高床式の家々がならぶ192世帯の村があります。ムアラエンゲラム村。ボートで2時間かけてしか辿りつけない、文字どおり「最後の一マイル」の集落です。1990年代まで、夜の村に灯りはなく、子どもたちはロウソクの光で字を覚えました。その村がいま、自分たちの手で太陽電池を運営し、24時間電気のある暮らしを実現しています。世界の片隅で進む、静かなエネルギー革命の物語です。
ロウソクの夜から、ディーゼルの音へ
1990年代、まだ幼かったアスニア氏は家族とともにムアラエンゲラム村に移り住みました。電気のない夜、聞こえてくるのは蝉の声と、遠くを走る船外機の音だけ。「真っ暗な水の上で、ロウソクの炎だけが揺れていた」。アスニア氏が記憶を辿る言葉には、いまも当時の静けさが残ります。
2000年代に入り、村に小さな変化が訪れます。一部の家庭にディーゼル発電機が導入され、初めて電灯がともったのです。けれども、その喜びには大きな代償が伴いました。電気代は、1日10,000ルピア(約100円)、月にすると約30万ルピアに上りました。日本の都市生活の感覚では小さな金額に思えるかもしれませんが、漁業や農業で暮らす村人にとっては、家計の数割を電気代だけに費やすほどの大きな負担でした。東カリマンタン州の地方の貧困線が1人あたり月約83万ルピアであることを思えば、その重さがわかります。しかも発電機は1日6時間しか動かず、しばしば故障しては村を再び暗闇に沈めました。「ありがたかった。でも同時に、不平等を痛感した」とアスニア氏は語ります。
インドネシア全土の電化率は、2010年の約3分の2から、10年後には99%まで上昇しました。しかし、その「99%」の影に、ムアラエンゲラム村のような場所がありました。インドネシアは17,000を超える島々からなる国です。そのうちの一つで、湖の上で、人々は近代化に取り残されてきたのでした。
2015年、太陽が村にやってきた
転機は2015年に訪れます。クタイ・カルタネガラ県政府の働きかけで、初めて太陽光パネルが村に設置されました。出力30 kWp、168世帯と公共施設に1日250〜300ワットの電力を供給する規模。さらに翌2016年、エネルギー鉱物資源省の特別配分基金から39億ルピア(約25万ドル)が拠出され、35 kWpの本格的な共同ソーラーグリッドが構築されます。プロジェクトには、ドイツ国際協力公社(GIZ)が起業家育成とコミュニティ強化の技術支援を加えました。
大切なのは、ここから先です。多くの政府主導の再エネプロジェクトが、技術的な不具合や運営能力の不足で頓挫してきたなかで、ムアラエンゲラム村は別の道を選びます。設備の運営を、外部の業者ではなく、村営企業「Bersinar Desaku(輝くわが村)」に委ねたのです。村人自身が技術を学び、村人自身が料金を集め、村人自身が予算を管理する。「自分たちの電気を、自分たちで運営する」という構造が、最初から組み込まれていました。
2020年までに、村営企業は驚くべき段階に達します。村人の技術者たちは、損傷したパネルを自前で修理できるようになり、グリッドの容量を45 kWpへと増強しました。外からの修理業者を待つ必要がなくなったのです。電気代は月50,000ルピア(約500円)。ディーゼル時代の月30万ルピアと比べれば、6分の1の水準です。年間にすれば300万ルピア(約3万円)の余裕が、各世帯に生まれた計算になります。村人の所得水準を考えれば、この差額は家計の重荷を確実に軽くする金額です。しかも電気は24時間使えるようになりました。「電気代が高くて夜は灯りを消していた」「故障で何日も真っ暗だった」という日常から、村は静かに脱しつつあります。
電気が拓いた、暮らしの可能性
24時間電気が使えるようになって、村の風景は変わりはじめました。これまで「夢」でしかなかった小さなビジネスを、特に女性たちが次々と立ち上げます。食べ物や飲み物を売る店、モバイルインターネットを使ってソーシャルメディアで商品を販売する人。冷蔵庫が動くようになり、保存ができるようになったことで、漁や農業の付加価値も高まりました。
もう一つの興味深い変化が、ツバメの巣養殖です。鳥の鳴き声を模した音響装置を24時間流すことで、ツバメが巣を作りに集まる。その巣は中華料理の高級食材として国際市場で取引され、村の新しい収入源になっています。電気があるからこそ可能になった、地域に根ざした起業です。学校や診療所でも、パソコンやその他の機器が使えるようになりました。子どもたちはディスプレイの光のなかで、世界の広さを学んでいます。
成功を支える「透明性」と「合意」
この村の取り組みは、研究者の注目を集めています。クライメート・ポリシー・イニシアチブ(CPI)がインドネシア東部の事例を比較研究したところ、ムアラエンゲラム村が「成功事例の代表」として位置づけられました。比較対象になったスンバ島ワトゥカレレ村は、同じく政府資金で太陽光プロジェクトを得ながら、運営能力とコミュニティ・オーナーシップの不足で機能不全に陥っています。同じ「上から降ってきた支援」が、村によってまったく異なる結果を生む。その分かれ目はどこにあるのでしょうか。
研究者が指摘する成功の鍵は、主に二つです。一つは、徹底した透明性。ムアラエンゲラム村では、村政府が毎月の集会で村営企業の財務状況を公開しています。集めた電気代がいくらで、何にどう使われたか。住民全員が知ることができるしくみです。低所得世帯への補助や、盗電・未払いへの制裁ルールも明確に決められています。もう一つの鍵は、村全体の合意形成。料金、運営方針、修理計画――すべてが住民の話し合いを経て決まっていく。外から押しつけられたものではなく、自分たちで決めたルールだからこそ、人々が守ろうとするのです。
残された格差と、それでも灯る希望
もちろん、課題も残ります。インドネシア全土では、いまも140万人が電力にアクセスできずに暮らしています。地理的に遠い島々、小さな集落、それぞれが固有の事情を抱え、一律の解決策では届きません。市民団体ChelisとGreenpeaceの報告は、政府の化石燃料補助金が再エネ村落の持続的拡大の足かせになっているとも指摘しています。エネルギー格差は、まだ完全には解消されていないのです。
それでも、ムアラエンゲラム村が示したものは確かに大きい。1990年代にロウソクの光しかなかった水上の集落が、10年で自前のソーラーグリッドを運営する村になりました。その変化を起こしたのは、最新鋭の技術ではなく、すでにある技術を「自分たちのもの」として運営しきった人々の意志でした。アスニア氏はいま40代。村の子どもたちはもう、ロウソクの光で字を書くことはありません。
祈りは、湖に映る光とともに
世界の平和を願うとき、私たちは大きな出来事に目を向けがちです。けれども、湖の上の小さな村で、住民たちが自分たちの手で電気を運営している――そんなささやかな営みのなかにも、確かに希望は宿っています。電気があれば、子どもは夜に勉強でき、女性は商売を始められ、診療所は緊急時にも灯りを保てる。それは、人がその人らしく生きるための、静かで強い土台です。
外から与えられたものをただ受け取るのではなく、自分たちで意思決定し、技術を学び、運営を担う。ムアラエンゲラム村の人々が示してくれているのは、地域が主役になれば、技術はその地に根づいて花開くという事実です。世界中の片隅で、似たような小さな革命が、それぞれの場所で進んでいるのかもしれません。
湖の水面に映る、太陽電池の青い光。その光のひとつひとつに、遠くから祈りを重ねたいと思います。
参考・引用
- Mongabay「Solar brings power to women entrepreneurs in Borneo, but rural energy inequality remains」(2026年5月)
- Climate Policy Initiative「Electrifying the Last Mile: Community-based Renewable Energy for Eastern Indonesia」
- Asian Development Bank SEADS「Electrifying the Last Mile: Community-Based Renewable Energy for Eastern Indonesia」
- E3S Web of Conferences「Community-based centralized solar mini-grid management for rural electrification: Evidence from remote villages」(2024年3月)
- SolarQuarter「Community-Driven Renewable Energy Projects Propel Eastern Indonesia's Energy Transition」
- BPS-Statistics Indonesia「Understanding the Differences in Poverty Rates」(東カリマンタン州貧困線データ)
関連リンク:インドネシアの平和を祈りましょう