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「車ではなく、人を動かす」― フィリピンの通勤者と運転手が起こした、静かな交通革命

フィリピンの首都マニラ。世界でも有数の交通渋滞で知られるこの街では、人々の一日が「移動」との闘いから始まります。満員の乗合車を何時間も待ち、危険な車道の脇を歩いて家路につく。救急車は渋滞を抜けられず、病院にたどり着けないこともある。そんな日常に対して、2020年、ごく普通の市民たちが声を上げ始めました。「車ではなく、人を動かそう」と。その小さな声が、いまフィリピン史上最大の交通改革運動へと育っています。

jeepney manila philippines
UnsplashSadia Afreenが撮影した写真のSadia Afreenが撮影したイラスト素材

パンデミックが照らし出した、移動の不平等

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により、マニラは厳しい都市封鎖下に置かれました。公共交通機関が止まり、その影響をまともに受けたのは、社会を支える人々でした。ジープニー(乗合車)の運転手たちは収入を失い、医療従事者は職場の病院にたどり着けない。封鎖が、フィリピン社会に以前から横たわっていた「移動の不平等」を、くっきりと浮かび上がらせたのです。

フィリピンでは、自家用車を持つ人は人口のわずか6%にすぎません。それにもかかわらず、道路も交通政策も、長らく自家用車を中心に設計されてきました。残りの94%の人々――通勤者、通学者、交通労働者――の声は、政策の場に届きにくいままでした。毎日35億ペソもの経済的損失が、この移動の危機によって生まれているとされます。

20人から始まった連帯

危機のさなか、さまざまな分野から集まった約20人が、ひとつのことを決めました。バラバラに声を上げるのではなく、連帯しようと。2020年5月、結成されたばかりの「Move As One Coalition(ムーブ・アズ・ワン連合)」は、SNS上で最初の声明を発表します。安全で人間的な公共交通システムを求めるその訴えは、瞬く間に広がりました。発表からほどなく、140の市民社会組織と、立場の異なる77,000人の個人が賛同を表明したのです。

連合に集まった顔ぶれは驚くほど多様です。医療従事者、交通労働者の団体、労働組合、サイクリング愛好家、通勤者の権利を訴える人々、障害のある人々、若者グループ、都市計画家、信仰に基づく団体、気候正義の活動家。普段は接点のない人々が、「移動」という一点で手を結びました。

この運動には、忘れがたい個人の物語が宿っています。連合が語り継ぐ証言のひとつに、あるジープニー運転手の子どもの言葉があります。父親は朝4時から深夜0時まで、21時間働いて、それでもわずかな収入しか得られない。子どもは言います。「父が疲れ果てているのを見るのもつらい。でも、もっとつらいのは、父が『十分な父親でいられなくてすまない』と謝るのを聞くこと」。交通労働者が、その尊厳を奪われない世界であってほしい――この願いが、運動の根っこにあります。

「抗議」を「持続する改革」へ

Move As Oneがほかの抗議運動と異なっていたのは、怒りの声を、具体的な政策の言葉へと翻訳していったことです。連合のメンバーは、立法公聴会に参加し、政府関係者に手紙を送り、予算案を書き、交通分野で何にお金を使うべきかを提案していきました。「私たちは、街と統治の場における自分たちの居場所を取り戻そうとしている、普通の人々の運動だ」と連合は語ります。

その成果は、数字にも表れています。連合の働きかけにより、これまで交通労働者10万人以上の待遇と労働条件の改善が前進し、約9億4600万ドル相当の交通関連予算が提言されました。人の移動を支える予算として11億ペソを獲得したことは、長年ほぼゼロに等しかったフィリピンの「人のための交通予算」にとって、大きな転換点でした。保護された自転車レーンの整備、より安全な歩道、公共交通の改善、交通労働者の保護――ひとつずつ、現実が動いています。

「公正な移行」という難題

もっとも、フィリピンの交通改革は、単純な「善玉と悪玉」の物語ではありません。その象徴が、長年議論が続く「ジープニー近代化計画(PUVMP)」をめぐる対立です。第二次大戦後、米軍が残したジープを改造して生まれたジープニーは、フィリピン文化の象徴であると同時に、老朽化したディーゼル車として大気汚染や非効率の原因にも数えられてきました。政府は2017年から、古い車両を環境性能の高い車両へ置き換える計画を進めています。

しかし、近代化車両は1台あたり200万ペソを超え、日々の稼ぎがわずかな運転手にとっては大きすぎる負担です。政府の補助金は車両価格の数%にとどまり、PISTONやManibelaといった交通労働者団体は、これを「生計の破壊」だとして、たびたびストライキで抗議してきました。一方で、運賃の値上げや交通の質をめぐっては、通勤者の側にも切実な事情があります。同じ「交通をよくしたい」という願いのなかにも、運転手の生活を守りたい立場と、利用者の利便を高めたい立場が、ときに鋭く対立するのです。

Move As Oneが掲げるのは、「思いやりのある近代化(modernization na may malasakit)」という考え方です。環境性能の向上は必要だが、その負担を最も弱い立場の運転手だけに押しつけてはならない。通勤者・運転手・事業者のすべてにとって公正な「移行」のかたちを探ろうという立場です。連合は、近代化そのものに反対しているわけでも、推進一辺倒でもありません。立場の異なる人々の利害が交差する難しい場所で、対話の糸口を探り続けています。この「答えの出ていない問い」と向き合い続けていること自体が、この運動の誠実さなのかもしれません。

世界が認めた、草の根の力

2026年4月20日、ニューヨーク。Move As One Coalitionは、世界資源研究所(WRI)が主催する「Prize for Cities」のグランプリに選ばれました。賞金は25万ドル。世界77か国・230都市から334件の応募が集まったなかでの受賞でした。連合の活動は、複数の市民社会組織や開発支援機関のサポートを受けながら進められてきましたが、運動の主役は、あくまで現場の市民たち――通勤者であり、運転手であり、若者たちです。

連合のナショナルコーディネーター、レイセル・ハイアセンス・ベンダーニャ氏は、受賞のスピーチでこう語りました。この賞は連合だけのものではなく、声を上げ、組織化し、より安全で人間的で包摂的な交通システムを求めて行動してきた、すべての通勤者・労働者・地域の人々のものだ、と。連合は「Young Mobility Leaders Program(若き移動リーダー育成プログラム)」を通じて、次世代の交通改革の担い手をフィリピン各地で育てています。一過性の抗議ではなく、世代を超えて受け継がれる改革へ。その視点が、この運動の強さの源です。

祈りは、人々の歩む道とともに

交通の問題は、一見すると平和とは関係がないように思えるかもしれません。けれども、安全に家に帰れること、尊厳をもって働けること、救急車が病院にたどり着けること――それらはすべて、人が安心して生きられる社会の、最も基本的な土台です。移動の不平等は、静かに、しかし確実に、人々の暮らしと心をすり減らしていきます。

Move As Oneの物語が教えてくれるのは、絶望的に見える状況のなかでも、立場の違う人々が手を結べば、社会は動かせるということです。そして同時に、その道のりが決して平坦ではないことも。利害が対立するなかで、それでも対話のテーブルを囲み続けること。「みんなで動こう(Move As One)」という名前には、その粘り強い意志が込められています。

今日もマニラのどこかで、誰かが安全に家路につけるように。立場を超えて声を交わし続ける人々の歩みに、遠くから祈りを重ねたいと思います。

参考・引用

関連リンク:フィリピンの平和を祈りましょう

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